さく。右足を一歩踏み出した。花畑の真ん中を横断しているこの道は、どうやら自然とできたものらしい。わたしの前に、なんにんもなんにんも、きっと数え切れないくらいたくさんの人たちが、この道を歩いていったのだ。さく。今度は左足を踏み出す。足元にうすい水色の花が咲いているのをみつけて、さて、なんて花だったかな。だなんて考え込んでみたり。ここはすごく空気がいい。湿っていたわたしの気分は一気に吹き飛ばされた。さらさらとどこからか水の音がする。小川でもあるのだろうか。ここからは見えないけれども、その音だけで十分癒される。きっときれいなんだろうな。 「、?」 ?…ああ、わたしの名前だ。一瞬遅れて理解してから、ゆっくりと声のしたほうへ振り向いた。そうだ、なんで忘れてたんだろう、わたしは目的があってここに来たのに。目的どころか自分の名前さえ忘れそうになるなんて。目の前には目を見開いて突っ立ってる探し人が。ずいぶんと間抜けな面である。めったに隙なんて見せない彼がこんなに動揺してくれてることが少しうれしかった。それと同時に、彼があまりにもびっくりしてるからおかしくて、くすりと笑みをこぼした。瞬間、彼の顔が不機嫌そうに歪む。まあ、その反応が普通なんだろうけど。でもそれさえ愛おしくて、わたしはやっぱり笑みをこぼした。 「久しぶりだね、銀時」 「…なんで来たんだよ」 唸るように銀時が呟いた。長年一緒に過ごしてきたわたしにはわかる。これはかなり怒ってる。やってしまった、そう思いながらも久々に会話ができることがうれしくて、どうしても顔が緩んでしまう。 「だって、銀時に逢いたかったんだもん」 「ふざけんな」 「ふざけてたらこんなとこ、こないよ」 「お前アレだろ、バカだろ。本物のバカだろ俺こんなバカ見たことねぇよ」 「バカはバカでも、銀時バカだもん」 「え、ちょ、なにそれ。ツンデレ?ツンデレなのかコノヤロー。いつもっつーか常にツンツンだっただろお前。死んでからデレるとかどれだけ時間差のツンデレなんだよ馬鹿じゃね?」 「銀時知ってた?馬鹿っていうほうが馬鹿なんだよ」 「お前だって言ってんじゃねーかばーか」 「銀時ほど言ってないものバカ」 はあ、と重苦しい溜息をついて、銀時はがしがしと頭を掻いた。きらきらと光る銀色の髪がまぶしい。最後に見たときのあかいろとはちがって、光をあつめてつくったようなぎんいろ。やっぱり、銀時はそうじゃないとね。天パ具合も微笑ましい。ずっとにこにこしっぱなしのわたしをちらとみてから、銀時はまたひとつ、溜息をついた。しあわせがにげますよー、と小声で呟いたらぎろりと睨まれた。あかいひとみがわたしを射抜いて、おもわず笑顔をひっこめる。わたしを責めるようであり、銀時自身を責めるようでもあるその強い視線に耐えられなくなって、わたしは足元に視線を落とした。そりゃあ、確かにへらへらと笑いすぎていたかもしれないけど、でも、嬉しいのは本当なの。どうやらそれが伝わったようで、三度目に吐き出された溜息は先ほどよりは重くはなかった。 「なんで俺なんか追ったりしたんだよバカだろお前。新八とか神楽とかどーすんだよ」 「…妙ちゃんがどうにかしてるよ」 「おまっ、その適当な性格なんとかしなさいっ」 「銀時ほど適当じゃないと思うんだけどなぁ」 顔を上げて苦笑したら銀時の瞳が辛そうに細められた。ごめん。こころのなかであやまった。ごめん、ごめんね。でも声に出せるはずがない。だって謝るくらいなら追わなければよかったんだ。でも、わたしには耐えられなかったんだよ、銀時のいない世界なんて、 「、」 ゆっくりと銀時がわたしに歩み寄る。さくり。潰された花は悲鳴のひとつも上げなかった。その花を悼むように周りの花たちが揺れる。風は、吹いていなかった。音もない。鳥のさえずりなんか少しも聞こえなかった。かすかに耳にとどくのはどこかから聞こえてくる川のせせらぎだけ。きっとその川に魚はいない。いっぴきも。だって、魚は後悔なんかしない。鳥も、虫も、未練なんて残さずにそれが運命だと受け入れるから。人間だけ、人間だけがいつまでも過去にすがって後悔して、それで、 「」 小刻みにふるえた手がわたしのほほに触れた。あったかい。銀時もそれに気づいたのか、あったけぇ。ぽつりと呟いた。その声も震えていたかもしれない。それが、わたしのなかの張り詰めた糸をいとも簡単に切っていった。銀時の顔がすぐに歪んで、瞬きをしたらちょっとはましになったけど、やっぱりゆがんでしまった。ぼたぼたとこぼれる涙を無言で銀時は拭う。嗚咽を漏らさないように必死で口唇をかみ締めるのだけれども、でもわずかにあいた隙間から唸るような声が漏れた。「ッ」切羽詰ったようにそう呼ばれた瞬間、わたしは銀時に抱き締められていた。 「ごめん」 肩に顔を埋めて低く呟く銀時の声はやっぱり震えてて。わたしを痛いほど抱き締めている腕も小刻みに震えていた。銀時の大きな背中に手をまわすと、ごめん、また呟かれた。着物の肩口が湿っていくのがわかる。銀時が鼻を啜った。 「置いて来て、ごめん。追わせて、ごめん」 「私が勝手に追って来たんだもん」 「先に逝って、ごめんなさい」 「また逢えたから、いい」 そう言うと、ゆっくりと銀時は顔を上げてからにへらと笑った。つられてわたしも笑みをこぼす。また頬を涙が伝った。銀時がわたしの頬を両手で包み込んで親指で跡を拭う。思わず目を瞑ったら、たぶん笑われた。 「やべー絶対喜んじゃいけねーのに超嬉しいんだけど俺。どうしよう閻魔大王あたりに殺され…あ、もう死んでるんだった」 「私も命を粗末にしたって怒られるかなぁ…」 「そしたらアレだろ。閻魔サマぶっ飛ばすまでよ」 「もし負けちゃったら?」 「そしたら…アレだな」 俺と一緒に地獄に落ちませんか? 涙で濡れた瞳がにやりとわらう。つられてわたしもにやりとわらった。 「離れてなんか、やらないんだから」 「望むところだっつーの。離す気なんてねェし」 銀時がわたしを抱き締めて、ゆっくりと背をかがめる。ひとみをとじたら、いちめんがぎんせかいだった。 |