「あ」 ぽつりと声が漏れたのは視界に一人の少女を映したからだった。銀魂高校のセーラー服に身を包み、ふわりと栗色の髪を風になびかせているは、一人花壇に向けて水をやっていた。まだ衣替えはすんでいないので、指定のセーラー服の上には濃紺のカーディガンが重ねられている。しかし、今日は少々日差しが暑い。ましてや、はホースで一所懸命水をやっているのである。腕捲りされたカーディガンからは、惜しげもなく白い肌がさらされていた。いや、欲情とかそんなんじゃねーから。あれだよあれ、白いなあってだけ。誰にでもなくひとしきり弁解してから、俺は紫煙を吐き出した。近頃は禁煙も進んでおり、例に漏れず銀魂高校も粛清の憂き目にあっていた。職員室はもちろんのこと、校内では全面禁煙。どうしても吸いたいなら裏門から出て外で吸って来い。そう言い渡されたのは一カ月前の職員会議であった。確かに、教育に悪いことこの上ない。もちろん体にも良くない。しかし、全面禁煙っつーのはやりすぎじゃありませんかね。ということで俺のテリトリーこと私室と化した国語科教官室でひっそりと吸ってたわけなんだが。どこからかそれを聞きつけてきたババアが教官室に乱入したのが一週間前、つまり、灰皿を没収されて「今度ここで吸ってたらただじゃあおかないよ。給料20%減らすからね」という捨て台詞とともに嵐のごとく去っていったのが一週間前の話。2割という数字がなんとも生々しい。「ここで」といった科白を逆手にとって、よォしぜってー校内で吸えるところを探してやるぜコノヤローと、思い立ったらすぐ行動。この東校舎の空き教室のベランダを見つけたのがちょうど三日前の話だ。今日は通算五回目の喫煙時間。裏門はこの空き教室ほど遠くはないが、いかんせん人が多い。社会科の痔持ちや、愚痴たれ教頭などと誰が好き好んで戯れようか。よって一人ですぱすぱやりたいときは少々遠いながらもこちらへ足を運ぶのである。 二階であるこちらからは、ちょうどを見下ろしてる感じ。遠くまで水をやるを見ながら、そういえばアイツは美化委員だったっけか、ととりとめもないことを考えた。「銀魂高校美化キャンペーン」。たしか今週は美化習慣だったはずだ。なんでも銀魂高校に緑を増やそうだか花を増やそうだかそんな取り組みがされていた、ような気がする。生徒にそのようなプリントを配った覚えはあった。よくは覚えていないが。それで、こんなすたれた東校舎にも花を植えようということになったのか。銀魂高校には東校舎の他に西校舎と北校舎があるが、おもに教室があるのは西校舎だった。北校舎は、生物室や化学室、音楽室などの特別教室にあてられている。残った東校舎といえば、LL教室だの資料室だのと、おおよそ使われなさそうな教室が名前だけつけられて放置されていた。前は部室棟代わりに使われていたのだが、最近は新しく西校舎の近くにきちんとした部室棟が建てられたため、ほとんどの人間はこの東校舎に出入りしなくなっていた。そこへ俺が煙草を吸いに来てるわけなのだが。人気のないここはいっそ心地よい。それも好んでいた。そんな東校舎で自分以外に人がいるなんて 「おーい、−」 なんとはなしに、に声をかけてみる。振り返ったがきょろきょろとあたりを見回してから、こちらを見上げた。「先生!」にっこりと笑うその笑顔がまぶしい。 「せーんせ!校内は禁煙じゃないんですかー?」 「オメーそういうのって普通見て見ぬふりするべきじゃね?国語の成績1にすっぞ。」 「先生知ってた?そういうのってショッケンランヨーっていうんだよ!」 「お前漢字で書けねーくせにそういうこと言うなよ」 「先生は書けるの?」 俺が押し黙ると、はまたおかしそうに笑った。の背後の花たちは先ほどの水を反射させてきらきらと輝いている。 「あれ、これなんかあれっぽくね?」 「はぁ?」 「なんだっけ、シェイクスピアの」 「……ロミオとジュリエット?」 眉をひそめながら呟く。そうそう、それそれ。ちょうど俺はを見下ろしてるわけだし、は俺を見上げてるわけだし?さああ、と風が彼女のスカートと戯れる。脳みそを掘り起こして有名な台詞を口にした 「おお、お前はどうしてなんだ?」 「先生、それ、逆だよ。」 それはジュリエットの台詞だってば。の向けてきた白けた視線を手で払うふりをして、先を促す。 「うるっせーなーいいから次、おまえだろ」 「えー」 じいと見詰めていると諦めたのか頭を振ってが俺を見詰めてきた。ばちり、目があったしゅんかん心臓がどくりと悲鳴を上げる。 「先生」 どうして先生は先生なの? まっすぐに俺を見ているの視線に眩暈がする。このあとジュリエットはどう答えたんだったか?必死に頭をフル回転させるも、読んでもねェからわかるはずもなかった。フル回転、だなんて、笑える。回転どころか停止中だっつーの。 ただの戯れの、つもりだった。つもりだった、のに。 「それはな、」 また風が吹いて、今度はの柔らかい髪が風に吹かれて先をあそばせる。 「ここで、おめーさんと逢うため、だよ」 きらきらとひかりのなかに、が立っている。は、俺を見上げてにっこりとわらった。 |