「ああ、」




あつい。
むしむしとした熱気が室内に充満しているのを、肌で感じていた。扇風機はさっきからこっちに必死で風を送ってくれているけれど、その風だって熱気なもんだから、結局あまり意味がなかった。窓は全開になってるけど、風なんてこれっぽっちも入ってこない。蝉の鳴き声だけが充満してて、酷く不快だ。クーラーいれたら、怒られちゃうかな。でも、節電節電ってうるさいお母さんはいまいない。パートは夕方までだし、弟は部活の大会だから、帰りはおそくなるはずだ。ごろり、とベッドの上で寝がえりを打った。その拍子に、枕元に乱雑に置いてあった漫画本が数冊、床へと転がり落ちた。でも、あたしの視線はテーブルの上へと注がれている。クーラーをつけるには、リモコンが必要だ。そのリモコンは、テーブルの上。どんなに頑張って手を伸ばしても、まさか届くはずもない。涼しくはなりたいけれど、体を起こすのすら億劫だ。結局あたしは動かないままだろうな。昨日だってそうだった。




「ああああーひまだぁぁぁああ」




独り言が飛び出してしまうくらいである。ごろん、とまた寝がえりをうった。目に入るのは白い壁だけ。夏休みの宿題なんてあってないようなものだし、それ以前にあんなもの、7月中に終わらせてしまった。見直しですら、手持無沙汰すぎて二回もしてしまったくらいだ。ああ、去年は忙しすぎて、宿題なんて今の時期にも終わってなかったのに。だって、去年は、




そこまで考えて無理やり思考をとめた。ばか、去年のことなんて思い出してどうするの。おわったことなんて、もうどうしようもないのに。ぎゅ、とクッションをだきしめて、それに顔をうずめる。でも、一度考えだしたら、もう、とまるはずがない。ぎらぎらと太陽が唸っていて、校庭には影が、ぽつり、ぽつり。きらきらって光る金髪が奇麗で、ベンチからずっと見つめていた、あの夏。ひたすら部室で他校のチームの研究したり、一緒に自転車で河原を走ったり。校庭で花火をしたこともあったし、部活帰りに皆でアイスを食べたこともあった。帰り道は、あたしだけ違う方向だったのに。あの馬鹿はわざわざ送ってくれたりもしたっけ。蒸し暑い夜、あいつのかたい掌がひんやり冷たかったのをひどく覚えている。人前ではものすごくしゃべるくせに、二人きりになると途端に無口になって、でも、それがあたしに心を許してくれてるんじゃないかって。そんな沈黙は、きらいじゃなかった。ぶっきらぼうな言い草とは対照的に、あたしの右手を包む掌はすごく優しくて。




「ひる、ま、」




ぽつりとつぶやいたら、目がじんわりとあつくなって、あわてて唇をかみしめた。ばか。忘れるって決めたはずなのに。ぎゅうぎゅうとクッションを抱きしめた。蝉がうるさい。




ピンポーン..




鳴り響いたのは玄関のチャイムだった。クッションから顔を上げ、携帯を開く。こんな時間に誰だろう。宅配便かな? すこし間をおいてから、もう一回。戸惑い、確認するようなチャイム。ああもうめんどくさい。居留守を使ってしまえ。瞬間、手に持っていた携帯がぶぶぶ、と震えだした。驚いてとっさに通話に出てしまう。び、びっくりした。




「も、もしも、」
『テメー居留守なんざ使ってんじゃねー! さっさとドア開けやがれ!』
「え、う、そ、」




どくり、と、心臓が唸った。乱暴に部屋の扉を開け放って、転がるように階段を下る。勢いよく玄関の扉を開けたら、目の前に悪魔がいた。




「よォ」
「え、え、うそ、ほんと、に?」




嘘、だって、まさか、なんで、ひるまが、ここに? だって、アメリカに行ってたんじゃないの? 栗田くんと一緒に、特訓しに、アメリカに、え?




「デス・マーチが、おわった」
「え?」
「一人の脱落者もださずに、な」




あたしのこころのなかの疑問に答えるように、ひるまがぽつりと言った。それから、すぐに口を噤む。あ、ちょっと焼けた、かな。それから、筋肉もついた、と、おもう。そう思ってからとっさに、視線をひるまの膝に落とした。なんで、あたしが、いちいちこいつのこと気にしなきゃいけないの。じりじり。正午なんてもうとっくに過ぎたのに、そとの日差しがいたいほどあたしたちを照らしている。蝉がうるさい。




「なぁ」




沈黙を破ったのはひるまのほうだった。沈んでいるのか、落ち着いているのか、判断しかねる声色で呟いたので、おもわずびくりと肩を揺らしてしまった。熱風が、あたしたちの間をかけていく。相変わらず黒い服を好んで着るひるまのにおいに、なぜだかあたしは泣きたくなった。




「い、や、」
「おい、」
「いや、」




完全にうつむいてしまったあたしの頭上で、ひるまが舌打ちをした。目頭が熱くなって、涙がこぼれそうになるのを必死で抑える。いや、だ。だって、だってあたしのほうがひるまを好きすぎる。好きすぎて、くるしくて、つらくて、そんなのいやだ。アメフトやってるひるまがかっこよくて、すきなのに、自分をみてほしいなんておもってるあたしがいやだ。それをひるまにかんがえさせるあたしがいやだ。ひるまが頑張ってるのに、一番前で応援できないなんて、そんなのいや。もうどうしたらいいのかわからないくらい、ひるまのことが好きなのに、すきすぎてどうしようもない。くるしくて、くるしくて、あたしばっかりすきで、そんなのずるいじゃない、




「っこの、糞アホ毛!」
「っい、」




ったぁ。脳天にチョップをくらって、あまりの痛みに頭を押さえた。衝撃で、必死に我慢してた涙がぽろりとおちる。めのまえが、ちかちかってして、うそ、今の、本気で、いた、




「だまってろ」




ぐい、と強引に左腕を引かれて、気がつけばひるまの腕の中だった。あ、やっぱり筋肉ついて、る。息を吸い込むと、ひるまのにおいがして、あたしはまたぽろりと涙をこぼしてしまった。




「い、やっ、はなし、」
「放さねェ」




ぐいと両手で胸板を押しても、びくともしなかった。それどころか、背中にまわされた腕にさらに力がこもる。突然の、懐かしい感覚に、息が詰まった。




「アホはアホでも正真正銘のアホか、お前は」
「っな、アホじゃ、ない!」
「じゃあなんで逃げる」
「っ、」




言葉に詰まったあたしを、ひるまはさらに強く抱きしめた。それが痛いくらいで、あたしは痛いよ、と零す。うるせぇってひるまは言ってやっぱりさらに力を強める。あたしはもう、息が苦しいのか、こころがくるしいのか、どっちなのかわからない。




「逃げんな」




それは、ともすれば懇願のような色を含んでいた。ぽろり、ぽろり。とめどなくあたしの目からは水滴が流れ落ちていて、じりじりと太陽があたしたちを照りつける。蝉の唸り声は聞こえない。




「お前がいねーと、調子、でねぇんだよ」




あの、泥門の悪魔が? まさか、そんなはず。でも、痛いくらいに押しつけられた胸の奥で、ひるまの心臓がどくどくと脈打ってる。うそ、ほんとうに?




「ねぇ、」
「うるせぇ」
「よういち、」
「だまってろ」




ねぇ妖一、あたし、もういっかい妖一のこと信じてもいいのかな。あたし、まだ妖一のこと好きでいていいのかな。妖一がちゃんとあたしのこと好きだって、そう思ってていいのかな。一度も好きだって、言われたことないけど、どくどくと脈打つこの心臓を信じてもいいのかな。ゆっくりと背中に手を回したら、妖一の身体がぴくりと動いた。どうじに、心臓のばくばくがはやくなる。妖一、口ではぜんぜんすなおじゃないけど、心臓は正直なんだね。ふふって笑いそうになって、きづく。あたしもおんなじだぁ。おそろいだね。




、」




名前を呼ばれて、顔を上げた。ひでェ顔。ケケケと笑いながら親指で涙をぬぐってくれるその手が、酷く優しくて目を閉じた。直前に見えた妖一の顔が、ひどくやさしくて。ああ、おもいだした。
彼のくちびるはとてもあつい。
























メルト


(ああ、あつくて溶けてしまいそう)











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110703  下西 糺




うっわーひっさびさに書いたわ!
え、これ一年ぶりとかそんなもんじゃなくね?!
あれ?!
とうとうひるまさんに手を出しました。
うーん、すきだ!