申し訳程度に羽織られたタオルケット、そこから覗いている艶めかしい肩は、陶器のように白く、それでいて酷く小さかった。形の奇麗な肩甲骨。手入れの行き届いた、流れるような黒髪が、ひと房、肩から滑り落ちていった。震えているのだろうか。凝視するも、背を向けている彼女からは何も窺い知ることはできない。シーツに散らばった黒髪だけが、体温を残しているようであった。彼女は此処に居るのか? 愚問だ。









会える?
何年振りだろうというメールは、酷く簡素なものだった。「会いたい」でないところがなんとも彼女らしい。題名も、前置きすらないそのメールに、俺はすぐに返信した。相変わらずだと、笑みすら零したのだ。この俺が。「どこだ?」「家に行く」「わかった」短いメールのやり取りはすぐに終わる。家に着いたところで誰がいるはずもない。冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出すと、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。相手を確認するまでもなく、扉をあける。飛び込んできた姿に、思わず目を細めた。




「久しぶりね」
「……ああ」
「あら、相変わらずそっけないこと」
「髪、伸ばしたんだな」




すこし伸びた身長も、手慣れた上品な化粧も、着崩されたグリーンのブレザーも。そして何より、あの短かった黒髪が、ふわりと風になびいていることも。様々なことが、二年前とは変わってしまっていた。あの頃と変わらないのは、その鋭い眼光と、風に乗って届くシトラスの香水だけ。




「……ええ。伸ばしたら、って、言われたの」




誰に、だなんて、訊かなくてもわかってしまった。が、少しだけ目を伏せて風になびく髪を押さえつける。それを見つめてから、俺は何を言うでもなく部屋へと戻った。「上がれよ」背中越しにに言い放つ。扉を開けたせいか、廊下を風が吹き抜ける。どこかで、ちりん、と、風鈴の音がした。




















「は? あのカスピアスが?」
「そうなのよ。しかも優等生相手に。見たことない? マネージャーやってるけど」
「あ゛――」




俺の唸り声を肯定と取ったのか、目の前の女はふうとひとつ息を吐き出した。俺も、いつのまにか止めていた手を、再度動かし始める。下着を取り払うと、は溜息とも吐息ともつかないような、湿った声を漏らした。




「阿含みたいに女遊びをするとは思ってなかったけど」
「あ゛ぁ?」
「まさか本当に彼女、つくっちゃうなんてね」




信じられる? そう言っては唇の端を釣り上げた。胸に顔を埋めながら見る彼女の表情は、なんとも形容しがたい。弾力のある胸に舌を這わせながら、俺は泥門のマネージャーを思い出していた。オペラグラスごしの脚、あの橋の上。特筆すべきことなどなかったため今まで忘れていたが、掘り返して気付いたことがあった。ああ、もしかしたら、あの女ほど、こいつが嫌う人間もいないのではないだろうか。




「眉目秀麗、容姿端麗。周囲からの人望も厚く、マネージャーとしても完璧。まさに理想の彼女像ね」




俺が話半分で聞いているのにもかかわらず、は吐き捨てるように静かに呟いた。よく回る舌だ。饒舌すぎるそれに思わず眉根を寄せる。何かを吐き出すように喋るこの女には、俺がまったく見えちゃいねェ。誰でもいいのだ、結局。それが気に食わなくて、鎖骨のあたりに歯を立てた。引き攣ったような声が漏れる。




「ちょ、っと! 痕のこさないでよ」
「いいじゃねーか」
「よくないわよ」
「誰が見るわけでもねェ」




そうだろ?
上目づかいでを見上げると、喉に何かを詰まらせたようなと目があった。数秒見つめあってから、がふ、と視線をそらす。それもやはり気に食わなくて、顎を掴んで強引に視線を合わせた。寄せられる眉根、揺れる瞳。




「お前、今誰のこと考えてた」




低く、唸るように呟けば、の視線がさっと動く。ちくしょう。カスが。大きな瞳に俺は映っているのに、こいつはきっと俺なんか見ちゃいねェ。昔からそうだ。こいつが目で追っているのは、瞳に焼きつけているのは、




「カスが」




舌打ちをすると同時、そのぷっくりと熟れた唇に自分のそれをぶつけた。ぶつけるというよりも、噛みつくといった表現のほうが正しかったかもしれない。口唇を舐めるでも、舌を絡ませるでもなく、吸いつくように唇を合わせる。乱暴に右手を進めれば、くぐもった声がから漏れた。なにを言っているのかなど、俺には分からない。わかりたくも、なかった。




















ことり、と微かな音がして、たゆたう意識は浮上した。どうやら少し眠っていたらしい。俺は重たい瞼を持ち上げた。




「帰るわ」




背を向けたまま、は呟くようにそう述べた。酷く白い、華奢な背中が、薄暗闇の中に浮かび上がる。何時なのだろうか。の背を見つめながら、漠然と考える。俺の背と違い、彼女のそれにはひとつの傷すら見当たらない。けだるげに下着を纏うは、こちらをちらとも見なかった。




「相変わらずそっけねぇな」
「そう?」




ああ、そうだ。俺はこの女の背中を、いつも見つめていた。傍に、隣にいるときも、遠く離れているときも。いつもいつもを見つめていたのに、彼女がこちらを見ることなどありはしなかった。彼女の視線の先は、きらりと光るピアス。揺れる黄金が、彼女の視線をいつも独り占めしていた。どれだけ名を呼ぼうが、どれだけ腕を引こうが、彼女には一人の男しか目に入らなかったのである。それはまるで己のようであった。どんな女と、なにをしていようが、俺が見ているのは、いつも、




「帰る場所なんて、あるのか?」




その言葉に、ぴたりとは動きを止めた。今度は見逃さなかった。服から覗く、白い肩の震え。じいと見つめると、数秒止まってから、また手を動かし始める。




「ここじゃないことだけは、確かよ」




小さな鞄を持って、は立ち上がる。声は震えていなかった。「じゃあ、さようなら」癖のない黒髪を撫でてから、ドアノブに手をかける。その白い手が、突然、止まった。すこし思案するように小首を傾げてから、彼女はくるりと此方を振り向いた。黒髪が舞う。鋭い瞳と、視線が交わった。どくりと心臓が呻く。




「貴方には、あるの?」




帰る、場所が。




しばらくして、彼女は出て行った。もう会うことはないだろうと思いながら、躰をベッドに沈める。ともすれば、どこまでもどこまでも、沈んでしまうかのようだった。腕を額に当てて、目を閉じる。焼き付けられたように鮮明な彼女が、こちらをじいと見つめていた。その瞳からは、なにも読み取ることができない。彼女に何を言ったのか、それすら、わからなかった。ただ、乾いた俺の唇は、何かを求めるように開かれる。そこから漏れたのが、何だったのか。答えはいまだにわからない。
























深い夜に



(たとえ肌を重ねたとしても、)(ああ、君はこんなにも遠い)











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110728  下西 糺

蛭魔←女主←阿含っていううらやましすぎる構造。
ちなみにぼくはヒルマモが吐き気がするほど嫌いです。
リアルすぎるから。というかマモリに勝てるヒロインなんて作ることができるのか? っていう。
嫌いだけど、その嫌いを糧にして書きあげるっていう
あるいみドМな挑戦。w