誰もいないと思い込んでいたから、目の前の光景に雲雀は目を丸くする。まだ肌寒いこの季節、吹き抜ける風は少し冷たい。遮蔽物のない屋上、見渡す限りコンクリートの地面に、唯一転がっている白いモノ。




「あれ、おっかしいなぁ」




 もぞもぞと動いたソレは、のっそりと起き上がる。かぶっていたパーカーのフードがずれ落ちた。眩しいくらいの白い学ラン。ヘッドフォンを外しながら、透き通るようなアルトで青年は呟いた。おっかしいなぁ。




「今日登校していいのは、陸上部と吹奏楽部だけ、のはず、だったよなー?」




 虚空を見つめ、一瞬思案してから、青年は初めて雲雀のほうに顔を向けた。海の底のような色、切れ長の双瞳が、真正面から雲雀を捉えた。呼応するように、乾いた風が二人の間を駆け抜ける。逸らされることのない、探るようなその瞳。ぞわり、雲雀の背筋が粟立った。目の前の青年から、目が離せない。隙が、ない。ごくり、と喉が鳴った。この男――――強い。




「君、何者?」




 気付いたら口走っていた。雲雀の科白に、目の前の青年は怪訝そうに眉を寄せる。質問には答えず、品定めするように視線を雲雀の身体へと走らせた。値踏みされているようで気分が悪いが、今はそれよりも好奇心のほうが優った。




「ふむ。学ランってことは他校生、か? この近辺で学ランと言ったら隣町の中学だけれど、あそこは色が濃緑だしなァ」
「質問してるのは僕だよ」
「人に名前を訊ねる時は先ずは自分からって、マンマに教わらなかったのか? バンビーノ」




 青年の、薄い唇が釣り上がる。次の瞬間、眉をひそめた雲雀の、右足がコンクリートを蹴った。ばさり、と学ランが音を立てたのと、雲雀がトンファーを取り出したのは、ほぼ同時。ぐん、と風景が流れて、目の前に迫る名も知らぬ青年。右手に握られたトンファーを、思い切り振り下ろした。金属音。そして一瞬の間。




「なるほど」




 ちいさく息をのんだ雲雀の耳に、この場に不釣り合いな、落ち着き払ったアルトが滑り込んできた。金属の擦れ合う音を響かせながら、感心したように青年が呟く。手にしている特殊警棒が、ぎちぎちと震えながらも、雲雀のトンファーを受け止めていた。




「お隣の並盛中学校に、風紀委員会という名の暴力集団があったっけ。たしか、全員黒の学ランを着用して、」




 破壊音。数瞬前に青年の身体があったそこに、雲雀のトンファーがめり込んでいた。ぱらぱらとコンクリートの破片が周囲に散らばる。ゆっくりと顔をあげると、したり顔の青年と目があった。黒髪が、風に揺れる。




「さて、その風紀委員のトップに立つ、かの有名な雲雀恭弥が、いったい並高に何の用だ?」
「4月から此処に通うからね。下見も兼ねて粛清に来たんだよ。君みたいな違反者がいないかどうか、ね」
「ほう、粛清な。いい言葉だが……」
「なに」
「違反者、っていうのは正しくねーな」




 ここでのルールは、俺だ。
 特殊警棒を肩に担ぎながら、青年は唇の端を釣り上げた。雲雀の眉間に皺が刻まれる。それを見て満足そうに、青年はにっこりと嗤う。さわり、と風が青年の黒髪を撫ぜていった。背は高いが、顔はひどく幼い印象を受ける。カナリヤ色の派手なヘッドフォンが、白の学ランによく映えていた。手足が長い。それに加えて、特殊警棒。リーチはあちらのほうが格段に長いだろう。それでも、手数はこちらのほうが上である。雲雀は青年を睨みつけた。その視線に、青年が首をこてんと傾ける。




「ん? 俺の顔になにか付いてる?」
「知らない」
「あ、もしかして、惚れちゃった?」




 ニイ、と歯を見せて嗤う男の顔面に、思い切りトンファーを叩きこんだ。紙一重で防がれる。そのまま左手で、抉るように突き上げた。交わされる。右で脇腹を狙う。いなされる。足払いを仕掛けたら、バク転で逃げられた。体制を立て直す前に飛び込むも、それすら余裕で止められた。ギリギリと体重をかけているにも関わらず、青年の表情には余裕が見受けられる。それが、雲雀の焦燥感に拍車をかけた。息が乱れる。




「トンファーなんて物騒なモン、持ち込み許可した覚えはねーんだけどな」
「うる、さい、」
「お前、今、どうして反撃してこねーのかって、考えたろ」




 至近距離で心情を言い当てられて、思わずびくりと震えてしまった。それを気取られないように、目の前の男を睨みつける。三日月のように細められた瞳に、ぞくりと背筋が粟立った。一瞬の隙を、青年は逃さない。




「ほーら、スキあり」
「か、はっ」




 ぐるん、と世界が一回転、両腕と、背中に激痛が走った。そのあまりの衝撃に、一瞬、視界が真っ白になる。息が、詰まる。かろうじて機能している耳が、遠くのほうで響く微かな金属音を拾った。そして、近づく気配。雲雀を押さえこむように腹部に圧し掛かった男が、耳元で愉しそうに嗤う。




「つーっかまえた」




 吐息をぶつけるように耳元でささやかれ、ぞわりと不快感が肌を這った。両膝に押さえられた、二の腕が痛む。愛用のトンファーは手元を離れ、押し倒された現状では視界に入れることすらできない。必死にもがくも、それは目の前の男の笑いを誘うだけであった。




「マウントポジションとられたのに抵抗してくるなんて、ほんと、活きが良いねェ」
「うる、さ、」
「でも、俺さ、あんまり学ラン汚したくねーんだよな」




 だからさ、悪いけど眠っててくんねェ?
 バチリ。目の前で火花が爆ぜた。雲雀が目を見開く。青年の右手に握られた特殊警棒が、バチリバチリと不気味な音を立てている。可視できるほどの電圧なのだろう、空気を裂くような音とともに、ライム色の火花が迸る。雲雀の米神を、冷や汗が流れた。




「じゃ、オヤスミー、ヒバリキョウ、」
「や、め、っ!」




 ちょうどそのときだった。耳を劈くような音とともに、屋上の扉が勢いよく開け放たれた。突然のことに、雲雀と男の視線がさっと移動する。視線の先にいたのは一人の男子生徒だった。青年は、それを見つめてからひとつ溜息をつく。




「オイオイ、気配消すなって何回言ったらわかってくれんの?」
「会長ぉ、吹奏楽部が演目について変更したいそうですよ」
「えー俺今ちょっと忙しい」
「5分以内に体育館に来てくださいね。来ないと殺しますよ」




 丸メガネの奥、無気力な目をした男子生徒は気だるげにそう述べるが、そこには寸分の隙すら存在しなかった。ピリリとした、殺気に近いものが雲雀の背筋を滑っていく。身体を固くする雲雀に対し、圧し掛かっている男は、ハイハイという気のない返事をした。




「じゃあ、ヒバリ」
「……気安く名前を、」




 唐突すぎて、目を閉じることすらできなかった。
 目の前に迫る青年の顔。閉じられた瞼、長い睫毛。そして、唇にあたる冷たい感触。口付けられたと気付いたのは、青年が身を起こし、にやりと嗤いながら唇を舐めてからだった。




「ごちそーさん」
「っ、な、君、いま、」
「俺は仕事があるから、これでチャラな」




 ニイ、と唇の端を釣り上げて、青年は立ち上がる。茫然自失の雲雀にくるりと背を向けると、ひらひらと手を振って、屋上を去ってしまった。大きな音を立てて、金属製の扉が閉まる。あとに残された雲雀は、眩暈のするような思いで、その扉を見つめることしかできなかった。




「なに、なんなの、今の。殺す」




 ころす。ぜったい殺す。
 青年の体温を打ち消そうと、手の甲で乱暴に唇を拭った。ちくしょう。ころすころすころす。青年の、あの細められた瞳が、網膜に焼き付いてはなれない。唸る心臓、その動悸の意味も、真っ赤に染まった頬の原因も、このときの雲雀にはまだわからないのである。



























(それが恋だと気付くには)(少年にはまだ時間が必要なのでした)
title by late fantasia













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120328  下西 糺






名前変換なくてすみません\(^0^)/
最強男主が書きたかった。いつのまにかこうなった。
思った以上に受け受けしい雲雀になってしまった。
男にだらしない男主とかまじおいしいです^q^もぐもぐ
ちなみに裏設定ですが丸メガネの男子生徒は川平のおじさん←ぁ