あつい。だるい。疲れた。 弾む息をなんとか押しとどめようとしたけれども、久々の運動は思った以上に身体に負担をかけたらしい。どくどくと脈打つ心臓。必死で息を吸ったら、喉がキシリと痛んだ。苦しい。 「水、飲む?」 ベッドのすぐそば、トランクス一枚で突っ立っている涼太は、わたしを見下ろしながらそう言った。手にはフタの開いたミネラルウォーターが。横目でそれを確認してから、わたしはこくりと一つ頷いた。ああ、手を伸ばすことすら億劫だ。それでも、喉の痛みを天秤にかけたら、どちらに傾くかなんてわかりきっている。いうことをきかない身体に鞭打って、左手を伸ばした。と、それはペットボトルに届く前に涼太に掴まれてしまう。え、なに? わたしが眉間に皺を寄せたのと、にやりと嗤った涼太が口に水を含んだのは同時。瞬時に彼の思惑を悟ったけれども、捕えられた左手を引かれてしまえば抵抗などできるはずもない。ぶつかる唇。とろけてしまいそうなほど熱い舌とともに、なまぬるいミネラルウォーターが流れ込んできた。 「ん、む」 そのまま舌が暴れまわるものだから、零れた水が頬を伝う。狭い部屋にこだまする、ぴちゃぴちゃというはしたない音。は、という息を吐き出すと、涼太は至近距離でまたにやりと嗤った。そのまま、ぺろりとわたしの頬、零れてしまったそれを舐めとる。まだ熱冷めやらぬわたしの身体は、その刺激に従順な反応を見せた。涼太の唇が釣り上がる。 「ほーんと、ちゃんってエロいっスね」 「うるさい」 「そういうところ、ホントかわいいっス」 そのまま馬乗りになった涼太は、わたしの首筋やら耳やらにキスを落とし始める。ちょ、っと、まさか、まだ続ける気、じゃ? うそでしょ。「ちょっと、」と静止の言葉をかけながら肩を押したけれども、耳たぶを甘噛みされて甲高い声が漏れた。死にたい。 「なんだかんだ言って、ちゃんも乗り気じゃないっスか」 「乗り気じゃない。疲れたの。どいて」 「嫌だね」 わたしの言葉なんか無視した涼太の大きな手のひらが、無遠慮に身体をまさぐり始める。素肌を滑るその感覚は、さっきまでの熱を思い出すには十分すぎた。だめ、むり、死ぬ。必死の抵抗は、涼太がわたしの手首を掴んだことによりすぐさま意味を成さなくなった。そのまま布団に押しつけられて、身動きが取れなくなる。手首を掴む指先はやさしいのに、押さえつけるそれはひどく強かった。 「ちゃん」 「なに」 「好きっス」 「そう」 ありがとう。 感情が微塵も感じられない感謝を述べると、涼太の目がすっと細められた。その瞳に、ぞくり、と背筋が粟立つ。それを悟られないように、ぱちりとゆっくり目を瞬いた。涼太の眉が下がるのと、手首を解放されたのは同時だった。張り付けられた仮面。わざとらしいほどのその表情ですら、整ったかんばせの前では感情を伴った立派なそれだ。涼太の細くて長い、それでいて硬く節くれだった指が、わたしの頬を撫ぜる。心情と手つきがちぐはぐだ。まるで壊れものでも扱うかのような指先だった。 「ちゃんは俺のこと、好きじゃないんスか?」 「……さあ、どうかしらね」 苦しそうに吐き出されたそれに、ぴしゃりと冷たく返した。視線は逸らさない。真正面の彼の瞳は、少しも、これっぽっちも、揺れてなどいなかった。ええ、そうでしょうとも。わかってる。いまさら、期待なんてしたりしない。唇を尖らせた涼太は、冷めた瞳とは正反対の、少し高い声で話す。 「うー、ちゃん、冷たいっス」 「涼太は、」 「ん?」 「わたしに何を求めているの?」 好きだと言われたいの? 愛してると言われたいの? 初めて、涼太の瞳に感情が走った。それは、慕情のようなものとは掛け離れた、鋭ささえ孕んでいる光だった。ともすれば剣呑さすら内包しているそれに正面から突き刺されて、思わず息が詰まる。だめだ、動揺しては、全てが水の泡、に、なってしまう。視線を逸らさないで、ゆっくりと唇をひらいた。声が震えているのかどうかは、わたしにはわからない。 「愛してると言ってほしいの? ならば、言ってあげましょうか?」 「違う、俺が欲しいのは、そういうのじゃない」 「じゃあ涼太、貴方は一体わたしになにを、」 「うるさい」 吸いつくと言うよりは、噛みつくと言うほうが正しいようなそれだった。唐突なキスは、わたしから酸素やら余裕やらを全て掻っ攫っていく。しびれてしまいそうなほど強く舌を絡め取られ、吸われ、噛まれ、口の周りがお互いの唾液でべとべとになった。口にできない感情を全てぶつけたそれに、頭の芯がぼうっと熱くなる。はあ、と甘ったるい息を吐きながら唇が離れるのと、わたしがちいさくせき込んだのは同時だった。 「ほーんと、素直じゃないっスね、ちゃん」 そこが好きなんスけど。 さらりと笑顔で嘘を吐いて、涼太はまた指を滑らせた。唇の隙間から嬌声が漏れだす。霞む頭、その片隅だけが、常に冷静に彼を見つめていた。これは彼にとって、暇つぶし程度のゲーム、なのだ。わたしを本気にさせる、というただそれだけのゲーム。だから、お互い、本気になったら負け、なのだ。彼もわたしも、わかっている。どちらかが本気になってしまえば、終わってしまうこのゲームを、降りることなど許されない。プライドなんて奇麗なものじゃない。これはただの意地だ。 「あ、やっ、だめ、」 「駄目じゃないっス。ほら、脚開いて」 いつもそうだ。黄瀬涼太と言う人間は、わたしのなかに強引に踏み込んで、荒らすだけ荒らしてから、何事もなかったかのように去っていくのである。大嫌いだ、こんな男。最低で、最低な、最低の男だ。それでももう、抜け出せるはずもなかった。 「あっ」 ぞわりと駆け抜ける快楽に耐えきれず、腕を涼太の背中に回した。それに気付いた涼太が、同じようにわたしを抱きしめる。ねえ、どうしてだろう。これだけ近くにいるのに、君を感じたことは一度もないよ。 |