目の前を歩くショートカットの女に、視線が釘付けになった。
 月曜日、憂鬱な一週間の始まりである。別に学校が嫌いなわけじゃないし、部活が嫌なわけじゃないけれど、どうせだったらあと一日くらい休みがあってもいいはずだ。幸いにして月曜日は朝練がないから、いつもならば目を覚ましてからもベッドでゴロゴロしているのだが、今日は朝一番に、部長の電話で叩き起こされたのだった。どうやらあの熱血先輩は、俺の行動を予測するのが趣味らしい。「部活ねーからって遅刻なんかするんじゃねーぞ」別に、故意に遅刻しようとしていたわけじゃない。ただ、時間に間に合おうと努力しないつもりだっただけで。
 目の前の女から、俺は視線を離さなかった。と、言っても見惚れていたわけじゃない。確かに彼女は整った顔立ちをしているし、モデルのような体型ではあるが、残念ながら俺の好みのタイプでは全くない。俺が求めてるのは、ちいさくて、かわいらしくて、ちょっと意地悪するとすぐに泣いてしまうような、純情けなげな女の子なのだ。身長が173もある女子バレー部のエースで、生徒会に所属しているうえに、サバサバとした性格から男子どころか女子にまで告白されてしまうほど男前なには、興味などこれっぽっちもありはしないのだ。いや、違うな。恋愛感情が芽生えないだけで、興味ならば、溢れんばかりに抱いている。




「おはよ、




 走り寄って、肩を抱き寄せた。キャー、という悲鳴が周囲からあがる。悪くない。俺の唇が釣り上がった、次の瞬間、俺の手はバチリと叩かれる。




「うざい、あつい、さわんな」
「うわ、ひどいっス! 俺との仲じゃないっスか!!」




 わざと大げさに捲し立てると、不快そうにの眉が寄った。ぞくり、俺の身体が充足感に震える。思わず笑いだしそうになる衝動を押さえこんで、俺は眉尻を下げた。ざーんねん、一般人よりは、演技うまいよ、俺。




「えー、教室まで一緒に行くっスよ!」
「いやだな断る」
「手ェつな、」
「断る」




 ピシャリとそう言いきって、はわざと歩みを速めた。残された俺は一瞬の逡巡の後、彼女を追撃するべく駆け寄った。。俺に一ミクロンの興味も抱いていない彼女こそ、俺の本当の被害者である。





























































 むかしから女に苦労したことなど一度もなかった。
 初恋は実ったし、初体験だって年上のオネーサンととんとん拍子だったのが事実だ。女の尻を追っかける前に、女の方が俺を追っかけてくるのだから、振り払うのにてこずることはあれど、叶わない恋のために四苦八苦などしたことがあるはずもない。にこりと女に微笑めばはにかんだような笑いが返ってくるし、手をつなげば真っ赤になって喜んでくれる。まさに男があこがれそうなシチュエーションではあるが、物心ついたときからその反応をされている俺には、「物足りない」、その一言に尽きた。
 自分の性癖に気付いたのは、いったい何番目の女の時だっただろうか。ハジメテだと言うから優しくしてやったのに、本番になって痛い、だの、怖い、だの言いながら泣き始めたのだ。やめるべき、だったのだ。すぐさま。泣き出してしまった少女に服を着せ、キスをして、優しく抱きしめながら涙を拭ってやるのが正しい行動だったに違いない。そうしなかったのはなぜか。気付いたからだ。もっと泣かせて、虐め抜いて、ぼろぼろにしてやりたいという己の欲望に、気付いてしまったに他ならなかった。それは、もっと俺の行動で、苦しんで、悲しんで、哀しんで、傷ついてほしいという、歪んだ愛情に他ならなかった。自覚したら最後だ。それからはもう、坂道を転がるかのように止まらなかった。
 嫌がった少女を無理やり抱いた。回数を重ねるにつれ、その泣き顔に情欲のそれが混ざり始めた。つまらない。暴力を振るってみた。泣いた。ごめんと謝って俺も泣いた。大丈夫だよ、涼ちゃん。そう言って少女は微笑んだ。つまらない。別れを切り出したらまた泣かれたけれど、それに対しては何の感情も抱かなかった。ああ、つまらない。次の女を探した。お高くとまっているモデル仲間。話しかけて、ツンと拒否されて、少しだけ食い下がったら、あっさり躰を許された。つまらない。清純そうな一つ上の先輩、話しかけたら、顔を真っ赤にしながら首を振った。初めだけ。以下略。女優として名前が売れ始めたオネーサン、「なに言ってるの」とたしなめられたけど、以下略。みな、最初こそ拒否すれど、最終的に許してくるのだからつまらない。結局俺の人生つまらないことだらけだ。青峰っちの言ってることが、わからなくも、ない。努力すれば努力したぶんだけ、つまらなくなるのならば、努力しないのが正解だ。そう考え始めたのと、と出会ったのは、ほぼ同じ時期であった。
 は一言でいえば男のような女だった。もちろん容姿は良い方だし、それなりに男から告白を受けてはいるようだが、それ以上に女からのアプローチが激しい女であった。憧れでなく、本気で告白されることも珍しくはなかった。しかし、彼女自身の浮ついた噂などは一度として聞いたことなどない。懇切丁寧に断っているらしく、その姿勢がさらに彼女の好感度を上げる要因になっているのだそうだ。そんな真面目な彼女だからこそ、俺のようなタイプの人間を嫌悪しているに違いない。へらへらしてて、すぐに他人を傷つけるような俺の性格が、大嫌い、なのだろう。初めて声をかけたときのことを、今でも覚えている。忌々しげに名前を呼ばれたとき、俺の中の何かがぞくりと疼いたのだった。何事にも冷静に対処する彼女の、眉間にしわを寄せたその表情が。誰にでも優しく接する彼女の、そのとげとげしい口調が。俺の、悪い、癖だ。でも、わかっていても止まらない。止めるつもりも、ない。彼女の神経を逆撫でして、不快にさせることに快感を覚えてしまったその日から、彼女は俺の最大の被害者となったのだった。





























































「黄瀬」




 突然名前を呼ばれた俺は、振っていた手をそのままに彼女を見遣る。放課後、教室には日直の彼女と、部活の準備を終えた俺だけが取り残されていた。窓の外、名前もわからない女子生徒が、俺の名前を叫ぶ。にこりと笑ってもう一度手を振ると、黄色い歓声が上がった。悪くない。しかし、俺とは気分が正反対であろう彼女は、目を伏せて重い溜息を吐き出した。窓に寄りかかりながら、俺はそれを見つめる。




「溜息つくと幸せが逃げるっスよ?」
「うるさい」




 日誌を書きながら、彼女は冷たく言い放った。その眉間に皺が寄っているのを見つけて、俺の胸の奥がずくりと疼く。ああ、そうだ。もっともっと、不快になればいい。己の異常な性癖が鎌首を擡げた。真面目な彼女の表情を、俺の手で、もっと崩してやりたい。




「部活あるんでしょ。行きなよ」
「大好きなチャンと一緒にいたいっていう、俺の気持ちを汲み取ってくれないんスか?」
「うざい」




 彼女の細く長い指が、日誌の上を滑る。誤字脱字のチェックをしているようだった。ああ、その指先は嫌いじゃない。漠然とそう思ったのと、伏せていた彼女の瞳と目があったのは同時だった。薄茶色の瞳がすっと細められる。あ、これは、いけない、




「あんたさ、そういうのいい加減よしてよ」
「何が?」
「そうやって、構ってくるの。やめて」
「嫌っスね。あんたのいやがる顔がいい」
「最低」
「それに、勘違いするようなヤツもいないわけだし?」




 俺との仲を、さ。
 にやりと唇の端をつり上げる。彼女はまた一つ溜息をついてから、ぱたんと日誌を閉じた。立ち上がり、帰り支度をする。つんけんとした態度の彼女、その薄い唇が開かれる。しっとりとした声が、俺の鼓膜を震わせた。




「まあ、あいつが勘違いするとは思えないけどね」
「……は? あいつって、誰?」
「幸男。そうそう、この間から幸男とつきあうことになったんだよね」
「は、ぁ?」




 何の話だよ。突拍子もない彼女の言葉に、あたまが真っ白になる。理解が追いつかなくて、空いた口がふさがらない。付き合うことになった? はぁ? なんだよそれ。そんな話、聞いてねーんだけど、ちょっと、まて、よ、オイ。どういう、




「どういう、こと、だよ」
「だから、幸男と付き合うことになったんだってば。笠松幸男」
「まて、よ、……幸男って、笠松、先輩?」
「……あれ、幼馴染だって言ったことなかったっけ?」
「知ら、ね、」




 なんなんだよ、それ。聞いて、ねーよ。ふざけるな。幼馴染? そんなこと、今まで、一度も、言ったこと、なかっただろ。朝練前に自転車置き場で会った時も、昼休み先輩と居る俺と学食で遭遇した時も、合宿前の練習を見に来た時も、豪雨の中試合の応援に来た時も、一度も、一度たりとも、そんなこと、




「そうなの? 幸男から話聞いてるのかと思ってた」




 ま、そーゆーことなので。
 なんでもないようにがそう言って、鞄を肩にかける。俺の世界は、ぐるりぐるりと揺れていた。は、なんだ、そうかよ。そういうことか。俺の知らないところで、全部終わってたって、そういうことかよ。貴重な休日に練習を見に来てたのも、豪雨の中、びしょ濡れになりながら応援しにきてくれてたのも、ぜんぶ、ぜんぶ、




「ふざ、け、るな、」
「なにが? 黙ってたこと?」




 そうだ、なにが?




「わたしが恋人つくっても、それを黄瀬に報告する義務なんて、ないよね?」




 そうだ。俺たちはいつだって、相手の心に踏み込んだことなどなかったのだ。彼女が踏み込ませなかったのか? 違う。彼女はあまり物事に頓着しない。俺が彼女のことを聞けば、彼女はさらりと答えてくれたのに違いない。そうだ。踏み込ませなかったのは、俺、だ。踏み込まれたくなくて、彼女に踏み込まなかったのだ。聡い彼女はそれを察して、いつも適度な距離を保っていてくれていた。彼女が。目の前が真っ暗になる。どうして踏み込まなかった。逃げられたくなかったからだ。どうして逃げられたくない。そんなの、わかりきったことじゃないか。




「黄瀬……?」




 困惑顔で、俺をのぞき込む。本気で俺を心配しているようなその表情に、俺の心臓がぎりりと締め付けられる。ああ、だから俺はこいつのことが嫌いなんだ。どれだけひどい扱いをしようとも、どれだけこちらを向かせようとも、こいつは自分の芯を貫くから。背筋を伸ばし、まっすぐに、たった一方を見つめるその眼差しに、強い羨望と、淡い感情を抱いたのだ。その瞳に、俺を映してほしいと、“黄瀬涼太”を映してほしいと、そう望んでしまったのだ。大嫌いだ、、お前なんか。強くて、優しくて、残酷で、狂おしいほど愛しいお前なんか、大嫌い、だ。
























世界をる銃声


(お前のいる世界は、なんて哀しく美しい)











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120920  下西ただす





うっはwww久々のうpです^q^
黄瀬くんが愛しくてたまらない今日このごろ。こんなカスでゲスな黄瀬も大好きです。