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Saburo Hachiya

※う*た*恋*い*。のパロ/平安時代




「姫さま、姫さま」
「なあに」
「鉢屋さまから文が届いております」
「……またなの?」




 わたし、今忙しいのだけれど。
 溜息をついて、侍女からそれを受け取った。添えられているのは藤だった。唐箱ではなく、みずみずしいそれに文が結ばれている。なんともまあ、風情のあることね。思ってもいないことを胸中でつぶやきながら、じろりと侍女を見遣る。にこにこと笑みをたたえたその表情に、毒気を抜かれてしまった。はぁ。再度吐き出される溜息。




「おまえも、取り次いだりしないでよ」
「なにをおっしゃいますか」
「だって、興味がないのよ」
「いけません」




 ささ、姫さま、はやくおよみくださいませ。
 せかすようなその言葉に、溜息を呑みこんで文を開いた。打雲の唐紙に、さらさらと流れるような文体で和歌が詠まれている。きらきらとした侍女の視線に負けて、小さな声でそれをよんだ。






  吹く風に わが身をなさば 玉すだれ ひま求めつつ 入るべきものを
(わたしが風だったなら 簾の隙間からあなたのもとへ入ってゆけるのになあ)






 いつもどおりの、情熱的な恋の和歌だった。さすがに噂されるだけのことはある、ほれぼれとするような和歌である。あたりまえか。こんなもの、書き慣れているのでしょうね。指先でつまむようにして、近くの硯箱にそれを突っ込んだ。ああっという声があがる。それを無視して、少々乱暴に蓋を閉めた。ああいやだ、これでいったい何通目? 硯箱のなかには着々と文が溜まりつつある。父や母からの文ももちろんあったが、大半は鉢屋さまからの文であった。ああもう、うんざりよ。




「あんなにも美しい和歌なのに! 姫さま、お返事をさしあげるべきですわ!」
「まっぴらごめんよ。あんな女たらし、ご勘弁願いたいわね」
「えええ! だってあの鉢屋三郎さまからの文ですわよ?!」




 鉢屋三郎。名前を聞いただけでも眉間に皺が寄る。才色兼備、眉目秀麗、容姿端麗。彼を表す言葉など、掃いて捨てるほどあるに違いない。もちろん顔など見たこともないが、うわさだけでその性格は十二分にわかりきっていた。和歌の才能に秀でた、自由奔放な色好み。間違いなく、今都をにぎわせている人物の一人である。




「そんな男に、返歌なんてしたくないわ」
「だめですよ姫さま! きちんとなさいませ!」




 せかせかと動いて、彼女は墨やら唐紙やらを用意し始めた。もともと気のきく侍女ではあったが、色恋沙汰へのその姿勢は、もはや献身的を通り越している。有無を言わせぬ笑みでじっと見られては、筆をとらないわけにはいかなかった。しばし逡巡してから、書きつける。






  とりとめぬ 風にはありとも 玉すだれ たがゆるさばか ひま求むべき
(あなたが風だったならなんなのよ 隙間から入ってくるのを誰が許すわけ? はい、残念)






「はい、これをお返ししておきなさい」
「あああ! なんてつれない! あんなに熱烈な文なのに! 色良いお返事を、」
「あのねえ、何回も言わせないで頂戴」




 女ったらしなんて、まっぴらごめんよ。
 取り付く島もないその言葉に、やっと黙った侍女は、文を届けるべくこの場を後にした。はああ。重たい息を吐き出して、その場にぱたりと横になる。別に、恋人が欲しくないわけでも、ましてや結婚したくないわけでもなかった。ただ、まじめな方と、ずっと寄り添って生きていたらとおもうのだ。今日も帰ってこないだの、どこの女と関係を持っているだの、そういった心配事をしたくないのだ。胎違いの姉上がそうだった。それを近くで見ているからこそ、そんな男など、“まっぴらごめん”でしかない。ねっとりと睡魔が襲ってきて、あらがうことなく瞼を下ろした。たったひとりの殿方の、たったひとりの女でいたい。叶わぬ夢だとわかっていても、望まずには居られなかった。












***












 杜若の香に誘われて、妻戸から簾子へと出る。池の周りに咲き誇るそれが、月の光に照らされて酷く幻想的だった。ほう、と息を漏らす。今宵は満月ともなれば、その風情はより色濃く感じられるのだった。




「きれい……」




 ぽつりと漏れた独り言。それに返答があるなど、誰が予測したであろうか。




「ほんとうに。でも、貴女のほうが、より美しいですよ」




 突然聞こえた低い声に、反射的に振り返る。黒い影が、覆いかぶさってきた。背筋がぞわりと冷えたのと、柱に押しつけられたのとは同時。唇の隙間から、悲鳴が漏れた。




「ひ、ぎゃああぁあ、むぐ、」
「お静かに」




 大きな手のひらで口を塞がれて、眼を見開いた。ふわりと男の香が、こちらまでただよってくる。男性とこんなに密着などしたことがあるはずもなく、言葉を失ったままそのかんばせを凝視してしまった。どくどくと駆ける心臓。硬直しきったわたしから、男はゆっくりと手を離した。「だ、誰なの」力ない言葉に、男はにやりと唇の端をゆがませる。「風ですよ、姫」満月に照らされるその姿に、思わず、息を呑んでしまった。




「恋の炎に身を焦がすより、風になってあなたのもとに忍びたいと言った、愚かな男の名をお忘れかな?」




 昼間の文を思い出す。風となって、あなたのもとに。ま、さか。




「は、鉢屋さま?!」
「はい」
「な、なぜ、ここに、」
「あまりにつれないお返事なのでね。逆に興味を誘われて」




 是非そのお顔を拝見したく、馳せ参じた次第です。
 その言葉に、カッと顔が熱くなった。し、まった。扇も持っていない今は、目の前の男に、顔を見せてしまっている。慌てて袖で顔を隠そうとしたけれど、両の手首を掴まれてしまった。そのまま、顔を覗きこまれる。男に、まして一方的な文でしか関わったことのないものに、顔を見られてしまうなんて。羞恥で死んでしまうかと思った。不躾な視線から逃れるように、顔をそむける。「は、なして」紡ぎ出した声は裏返った。




「厭だね。放したら君は逃げるだろう?」
「人を、呼び、ます、よ」
「それは困った」




 ならば唇を塞ごうか?
 耳元で低く囁かれて、おもわずびくりと震えてしまった。それに気を良くしたのか、鉢屋さまはくくく、と喉の奥で笑った。わたしの手首をひとつかみに、頭上で固定する。温かい左手が、そむけていた顔に触れたと思ったら、ぐい、と無理やり視線を合わされた。切れ長の瞳、濃藍のそれが正面から射るように向けられた。ハッと、息を呑むほどの澄んだ瞳。「なるほど」頬に手を置いたまま、鉢屋さまは満足そうに眼を細めた。




「噂通りの美姫なようだ。これでは男が放っておくまい。私以外の男と文を交わしているのかとおもうと、嫉妬で身が焦がれるね」




 添えられた指が、ゆっくりと唇を撫でる。冷めぬ熱に、砕けそうな腰に必死で力を入れた。全てわかっているような顔をして、目の前の男は眼を細めた。




「さて姫君、よろしければつれない歌の、その理由をお聞かせ願いたく」




 にこりと嗤うその顔に、羞恥や恐怖よりも苛立ちが優った。スッと頭が冷える。な、なんなのだ、この男。突然訪ねて来たかと思えば、なんてことはない、“自分に靡かない女”が珍しかっただけなのだ。なんという自意識過剰な男なのだ。信じられない。無礼な。キッと睨みつけると、驚いたように鉢屋さまは眼を見開いた。




「鉢屋さまは、ご自身が容姿端麗であるが故に、大切なことを見失っていらっしゃるようですわね」
「…………何?」
「世の中には貴方に時めかないおなごなど、星の数ほどおりますわ。わたくしとてその星の一つ。何を珍しいことがございましょう」
「……数多ある星の中で、ひときわ光る星を求めるのは、不思議なことではあるまい」
「光ばかりに気を取られては、まことの形を見逃しますわよ」




 わたしのその言葉に、鉢屋さまは完全にかたまってしまった。いまならば、あるいは、逃げだすことができるかもしれない。腕さえほどければ。一方的に契りを結ばれるなど、しかも、こんな男に奪われてしまうなど、たまったものではない。じゃじゃ馬姫だと噂になろうとかまわない。この、目の前の、無礼者を、足蹴にして、




「く、くくく……」
「……は?」




 唇からこぼれたのは、飾り気のない疑問符だった。むしろ乱雑過ぎるそれなど気にも留めず、鉢屋さまは肩を震わせて笑っている。な、なんだこの失礼な男は。予想外のできごとに思わず口を開けたまま、そのかんばせを凝視してしまった。その、屈託なく笑う表情に、胸が、どきりと、




「噂に違わず……否、噂以上ですよ、姫君」




 にやりと笑った男は、緩んでいた手の拘束を徐に強めた。しまった。自分の迂闊さに、眉を寄せる。隙をついて逃げることは、もう叶わない。先ほどよりもさらに躰を密着させて、男はわたしの耳元に顔を寄せた。「貴女が欲しい」焚き込めた香と、低い声に頭の芯がぐらりと揺れた。耳に触れるその熱に、思わず躰が跳ねる。クク、という低い笑い声を漏らして、鉢屋さまはわたしの顔を覗き込んだ。深い鳶色の瞳が、わたしをつかんで離さない。息が、とまるかと、思った。ゆっくりと近づいてくるそのかんばせに、わたしは、 




「姫様?! なにごとですか?!」




 突然聞こえてきた声に、ハッと目を見開く。一瞬、同じように動きを止めた鉢屋さまの腕を、力の限り振り払った。舎人の声に気を取られた鉢屋さまから、十二分に離れる。しびれた腕を抱き寄せて、キッと睨みつけると、男はまた愉しそうに笑った。




「どうやら貴女は、するりと私のもとへと入り込んで、私を揺らがせるのがお上手なようだ」




 さながら、風は、貴女だったようですね、姫。
 詠うようにそう述べて、鉢屋さまは唇の端を釣り上げた。ざわざわと屋敷のあちこちで声がする。彼が、ここにいては、よからぬ噂が立ってしまう。父上や兄上にもばれてしまうかもしれない。そんな不安が頭をよぎったのと、鉢屋さまがわたしを呼んだのとは同時だった。




「またお逢いしましょう」
「……ご遠慮申しますわ。どこへともなく行ってしまう風と、どう巡り逢いましょう」
「華あるところ、必ず風は吹くのですよ」




 私を捕らえたのは、貴女です、姫。
 視界の端で明かりがちらつく。それに背を向けて、男は、闇の中に姿を消した。男がいたという確かな証拠は、僅かな残り香と、耳に触れたあの熱だけだ。整ったかんばせを思い出して、顔が熱くなった。ばかばかしい。噂に違わない女たらしの性格だったではないか。あんなこと、鉢屋さまからしたら日常茶飯事なのだ。だから、だから、わたしが、気に留めては、いけない。




「またお逢いしましょう」




 妖しく嗤うその顔が、頭から離れない。振り払うように頭をゆるく振った。ああ、もう、ただでさえ、忙しいこの時期に。とんでもない。それでも、高鳴るこの胸に、わたしは気づかないふりをする。
 ああ、捕らえられたのはどちらだろう。それは、満月だけが知っている。
















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120522 giocatore/下西ただす
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