ああ、もう、だめだ、いらいらする。 ぼくのいらいらを、そのままあらわしているかのようだ。兄さんの右腕に巻かれている包帯は、ぐちゃぐちゃで、酷く歪だった。それに気付いていない兄さんは、にこにこと、それはもうよくしゃべる。ぼくがいらいらしてることなんて、これっぽっちもしらない、みたいだ。そんな兄さんの態度に、ぼくはまた、いらいら、いらいらする。 「それでね、落とし穴の中でうずくまってたら、留さんが助けてくれたんだよ」 まるで王子様みたいだね、って兄さんがおかしそうに笑うから、ぼくはもう頭が沸騰してしまうかと思った。口を開けば、留さん、留さんときたもんだ。もうもう! くるくると腕に巻いていた包帯を、わざと、きつめに縛ってみる。ちょっとは懲りろ、兄さんっ。食満先輩の話なんて、ききたくないよ。そう思ったはずなのに、兄さんがうめき声みたいなものを漏らした瞬間、反射的に謝ってしまった。……なんか負けた気分、だ。 「ご、めんね、兄さん」 「大丈夫だよ。、いつも有り難う」 どもってしまったのは、爪の先ほどの罪悪感のせいだ。だって、ぼくがわざと強く縛ったのは、兄さんにおしゃべりをやめてもらいたかったわけであって、兄さんを苦しめようだとか、痛めつけようだとか、そういう考えがあったわけじゃないんだもの。そんなぼくの考えを、まるっきり知らない兄さんはまた、大丈夫だよ、と笑って言った。そのほっぺたにも、ぼくがちょっと雑に張り付けた白いガーゼが。…………うん、やっぱり、ちゃんと手当してあげよう。べつに、有り難うって言われて、照れたわけじゃない。 「…………」 「…………」 急に黙ってしまった兄さんに、ぼくはどうしていいかわからなくなる。さっきまで、すごく良くしゃべってたはずなのに、今は口をきゅっとむすんで、ぼくの手元を見つめている。なに、かんがえてるだろ。兄さんがなにを考えているかぜんぜんわからないのに、どうしてかぼくのほっぺはあつくなる。そんなにまじまじと見られたことなんてないから、もし間違えちゃったらどうしよう、って、心臓がばくばくと走った。ほっぺだけじゃなくて、顔全体があつくなる。息をするのさえちょっと苦しくなってきたころ、兄さんが感心したような声をもらした。 「うん、上手になったね、手当」 「に、兄さんが、しょっちゅうケガするからだろ」 声が裏返ったけど、しらんぷりをした。気付かない兄さんは「あ、やっぱり?」と言って照れたように笑う。ぜんぜん、これっぽっちも、ほめてないよ、兄さん。 「だいたい、ぼくは保険委員じゃないのにさ、兄さんはほんと、ケガしすぎだよ。もっと、気をつけなきゃ、」 「ごめんねぇ。留さんにも何度も言われてるんだけど……」 ぼくはむっとして、また口を閉じた。どうしてどうしてどうして、兄さんはいっつも食満先輩のはなし、ばっかり! また、体の中からむくむくといらだちが上ってくる。自然と、ぼくの言葉は冷たくなった。 「あ、そうですか。まあ食満先輩は優しいですからね。だ、れ、に、た、い、し、て、も!!」 「うん! このあいだなんかね、留さんね、」 ぼくのイヤミにすらぜんっぜん気づかないで、また兄さんはにこにこと食満先輩の話を続ける。どうして兄さんは、ぼくといっしょにいるのに食満先輩のはなしばっかりするんだろう。おまえよりも、仲良しさんなんだぞーって、自慢でもしてるつもりなの?! それだったら、ぼくだって、委員会の先輩と仲良しさんなんだからな! 「ぼ、ぼくだって、このあいだ、鉢屋先輩に手裏剣教えてもらったんだよ!」 「そうなの?」 「鉢屋先輩、優しくて、教えるのもすっごくじょうずだったっ」 「そうなんだ。確かに、鉢屋も後輩の面倒はよく見てるみたいだしね」 にこにこって笑いながら、嬉しそうに兄さんはそう言った。ぼくと違って、鉢屋先輩の話をされても、全然いらいらしてない。その事実に、またしてもぼくはむっとしてしまう。ぼくばっかりが兄さんのことを気にしてて、兄さんはちっともぼくのことなんて気にしてくれない。そんなの嫌だ。ぜったい、いや、だ。でも、それを口に出してしまったら、兄さんはきっと僕のことを子供扱いするんだ。それは、もっといやだ。 「あっ、手裏剣といえばね、この間留さんが、」 あああもう! うるさい、うるさい、うるさい! 「うるさいっ!」 叫びながら、つかんでいた腕をひっぱった。兄さんの身体が、額が、ぐん、と近づく。ちいさな切り傷がのこるそこに、ぼくは唇をくっつけた。 「うわっ……え、?」 「うるさい」 「え、あ、ごめん……えっ?」 「ただの、」 おまじないだよ。 むっすりとそう言えば、おどろいていた兄さんは、ふわりと笑った。ぼくの顔がもっと、もっと、あつくなる。「しゃべるくらいなら、黙ってはやくケガ、なおしたら」つっけんどんなぼくの言葉にも、兄さんはずっとにこにこしている。ぼくが負けたみたいで悔しくて、何に負けたのかすらわからないのに、兄さんの顔をにらみつけるようにみつめた。 「はい、おしまい」 「有難う、」 ふわり。また兄さん、がわらった。その唇から、ぼくは目が離せない。あーあ、どうせなら唇にケガすればいいのに。 そしたら、ちゅうするいいわけができるのにな。 120206 下西 糺 愛しのかやちゃんへ! Happy Birthday !!! |