05. Daiki Aomine


 がちゃり。ゆっくりと玄関を開けてから、できるだけ音をたてないようにして中を窺った。真っ暗な廊下。息を殺しながらするりと身体を滑り込ませる。物音をたてないよう、細心の注意を払って扉を閉めてから、鍵をかける。ちいさな音が嫌に響いた。リヴィングに視線を走らせる。うん、電気、消えてる。そのまま靴を脱いで、階段を忍び足で昇った。日がのびたとはいえ、さすがにこの時間は暗い。電気をつけるわけにもいかず、わずかな外の明かりをたよりに、手を伸ばした。ドアノブを指先で確認してから、しっかりと掴む。てのひらが、微かに湿っていた。じくりじくり、あまりの緊張に、心臓がひめいをあげる。廊下の突き当たり、一枚の扉から、光が漏れてないことを確認して、ちいさく息を吐いた。よ、かった。寝て、る。ごくりと唾を呑みこんでから、音をたてないようにしてドアノブを回した。わずかな隙間だけあけてから、もう一度、閉ざされたままの扉を確認する。大丈夫、起きてこない。確信するが早いが、わたしは部屋の中へと飛び込んだ。鞄を握ったまま、窓へ直行する。そのまま、カーテンを引くと、わずかな外の明かりさえ遮断された。自分の部屋のにおいに、ほっと息を突く。よかった、と、胸をなでおろした、その瞬間だった。




「よォ、真っ暗な部屋で、なにしてんだ?」




 心臓が、どくりと凍った。
 パチン、軽い音を立てて部屋が明るくなる。ドアの傍にあるスイッチが押されたらしい。ふりむいたけれども、暗闇になれていた瞳には、あまりにも刺激が強すぎて、わたしは思わず目を瞑ってしまった。いやだ、見たくない。こわい。ゆっくりと瞼をあげると、冷え切った瞳がわたしを見つめていた。さっと冷える背筋。唇は震えていた。




「お、にい、ちゃ、」
「ずいぶんと、遅かったじゃねーか」




 
 声だけは柔らかくて、瞳とちぐはぐなそれがさらにわたしの恐怖を煽った。指先をきゅっとにぎりしめる。お兄ちゃんはちょっと黙ってから、わたしが何も言わないとわかると、すっと目を細めた。射抜くようなその視線に、びくりと身体が震える。




「どこに行ってた」
「ご、ごめんな、さい」




 反射的に飛び出したそれは、何の意味も持っていなかった。お兄ちゃんはわたしの謝罪なんてきにもせずに、一歩足を進める。フローリングの床に、お兄ちゃんの素足が触れて、ひたりと音がした。あ、というか細い声が、唇の隙間から洩れる。おもわず後ずさってしまってから、その行為の重大さに気付いた。お兄ちゃんの眉が釣り上がる。




「オイ」
「あ、えっと、メール、した、けど、あの、友達と、カラオケ、」
「電話しただろーが。なんで出ねーんだよ」
「ご、ごめんなさ、い、気付かなく、て、」




 お兄ちゃんが一歩近づく。わたしのあしは、もう、その場に縫いつけられたかのように動かなかった。わたしを睨んだまま、お兄ちゃんは無言でわたしを見下ろした。その鋭い瞳に、からだが震える。観察するようにわたしをじっとみつめてから、お兄ちゃんは口を開いた。




「誰といた」




 それはまさしく尋問だった。びくりと跳ねそうになった身体を、すんでのところで抑え込む。一筋の汗が、背中を伝った。あ、ぶない。ゆっくりと息を吐いてから、唇を開く。頭のなかで用意していた言葉を復唱してから、声が震えないように気をつけて、言葉を紡いだ。




「クラスメイトの、鈴ちゃん。どうしても行きたいって、お願い、されちゃって、」
「…………」
「あの、一応、断ったんだけど、どうしてもって、言われて、その、」
「…………」
「え、っと、その、……ごめんなさい」




 大丈夫、大丈夫。手のひらを強く握って、呪文のように強く唱えた。鈴ちゃんにも協力してもらってるから、絶対、ばれたり、しない。だいじょう、ぶ。それでも、恐怖は拭いきれなくて、視線を逸らしてしまった。お兄ちゃんの足元を見つめながら、きゅ、と唇を引き結ぶ。だいじょうぶ。お兄ちゃんが息を吸うのがわかって、思わず身体が硬くなった。だ、いじょう、ぶ、




「クラスメイト……」
「う、ん。女の子だよ」




 女の子、を強調してから、わざとらしすぎたかと上目づかいで顔色を窺った。相変わらずなにを考えてるかわからない瞳が、わたしをじいっと見つめている。すこしだまってから、お兄ちゃんは「そうか」とちいさく呟いた。その言葉に、胸をなでおろした、つぎの瞬間。




「きゃ、っ!」




 唐突に伸びてきた腕を、回避することなど不可能だ。おおきな手のひらは、わたしの頭を掴んでから、それをぐいと引き寄せた。あたまのてっぺんに、おにいちゃんの顔が寄せられる。掴む、という表現が優しいほど、力強く固定されて、頭蓋骨がみしみし痛んだ。




「いや、いた、おにいちゃ、はなし、」
、」




 鋭く飛び出してきた名前に、心臓がどくりと勢いよく跳ねた。大きく息を吸ったお兄ちゃんは、わたしの頭を掴んだまま、抑揚のない声で訊ねた。




「俺はな、。一度嗅いだ匂いは忘れねェ」
「っえ、」
「なァ、。どうして」




 どうしてお前から黄瀬の香水の匂いが、する?
 さっと、体中から血の気が引いた。ひゅうと息を呑んだけれども、頭はまるで酸欠になったみたいに真っ白だ。涼太くんの移り香だなんて、気付かなかった。今日は、ずっと、一緒に、いた、から。いやだ、こわい。とっさに拒絶しようと腕を伸ばしたけれども、手首を掴まれて身動きが取れなくなる。みしみしと握りつぶすように力を籠められて、悲鳴が漏れた。そのまま無言で、足払いをかけられる。ぐらりと揺れる視界と、背中に重い衝撃。反射的に閉じた瞼を開けると、蛍光灯と、冷たく沈んだ藍色の瞳が飛び込んできた。




「っ、」
「いつからだ」
「い、痛い。おにいちゃん、はなして、」
「いつから付き合ってる」




 ぎらぎらと光るお兄ちゃんの瞳に、背筋がぞくりと冷える。こ、わい。恐怖が全身を支配して、ぶるぶると唇が震えた。わたしをベッドに押し倒したまま、お兄ちゃんは目を細めた。釣り上げられた唇。なにをされるかを瞬時に理解して、わたしは叫んだ。




「いや、おにいちゃん、ごめんなさ、」
「うるせェよ」




 わたしに馬乗りになったまま、お兄ちゃんは耳元に唇を寄せる。がり、と思い切り耳たぶを噛まれたけれど、必死に悲鳴を呑みこんだ。低く笑う声。、吐息をぶつけるように、お兄ちゃんが囁いた。




「仕置きだ」




 助けて、涼太くん。
 瞼をとじたら、きらりとなにかが光って消えた。










120610  下西 糺


これぞ一時間クオリティ!!ww
真夜中、真っ暗な部屋の中で書きあげたwww
危うく裏に突入する所だったけどなんとか回避したよ\(^0^)/<br>