07.Kazunari Takao


 遅い。遅すぎる。
 疾うに天辺を超えた短針は、着々とその身を2の文字盤に近付けている。鳴らない携帯電話をソファに放り投げて、苛立ちをぶつけるように缶ビールを飲み干した。久々の飲み会だからって、調子乗りすぎなんじゃねーの、アイツ。2DKのアパートは、普段は狭いくせに、彼女がいないだけでがらんと広くて嫌になる。だいたい、携帯の電源が切れてるってどういうことだよ。充電ぐらいしてけアホ。飲み干した缶ビールをローテーブルに置こうとして、オレの耳は微かな音を拾った。




「…………?」




 少し高い、コツコツというヒールの音はまさしく姉のそれだった。それだけならば何も問題はない。今すぐ玄関の扉を開けて、不機嫌そうなお帰りを言えば、彼女はごめんと笑ってただいまと、そう言うはずだ。そう、それですべてが元通り、の、はずなのに。玄関の扉を凝視しながら、身体中の血が凍りつくような気がした。外から、ぼそぼそと話声が聞こえる。「おまえ、鍵どこやった?」「んーどこだっけ? わかんねー!」「ちょ、声でけェよ馬鹿!」がちゃがちゃと回されるドアノブと、それを咎める低い声。オレの眉間に盛大に皺が寄る。は、なんなんだよ。劈くようなチャイムに、オレは奥歯をギリと噛みしめた。どんどんと扉を叩く音に、強ばった身体で立ち上がる。




「おい、お前近所迷惑だって!」
「うるさいーのだよーう!」
「それに、扉叩いたって中には誰も、」




 がちゃり。鍵を回した音に気づいたのか、低い声が突然途切れた。無表情で扉を開けると、目に入ったのは顔を真っ赤にした姉と、オレとそう身長の変わらない短髪の男だった。男の目は驚いたように見開かれ、口があんぐりとあいている。少しよれたグレイのスーツに、大きな黒のビジネスバッグ。見たことのない男だったが、そんなことは重要ではない。男よりも、男に寄りかかるようにして立っているが問題だった。先ほど身体を駆け巡った、どろりとしたものが胸にこみ上げてくる。あまりの苛立ちにめまいすらした。ふざけんな。一人で歩けなくなるまで飲むなって、何回言えばわかんだよ、




「……
「んー、和成? へへへ、ただいまあー!!」




 刺々しく名前を呼んだけれども、アルコールの回りきったには嫌味など通じなかったらしい。顔を上げたは、目の前にいるのがオレだとわかったとたんに、にへらと笑みをこぼす。くそ、ちくしょう、そんなかわいい顔すんなよ、馬鹿が。




「え、っと、あれ、おい、、お前、一人暮らしじゃ、」




 狼狽したような男の態度に、一瞬引っ込んだ嫌悪感がむくむくと身体をを支配する。つーか、なんだよお前。だなんて、気安く、呼んでんじゃ、ねぇ、よ。の腰を支えるその骨ばった手首を、包丁で切り落としてやりたい。彼女に触れた部分を全て剥いで焼いてしまいたかった。どす黒い欲望は唾液と一緒に飲み込む。




、ほらこっちこい」
「はぁーい」




 腕を伸ばせばは倒れ込むようにしてオレに抱きついた。アルコール臭と嗅ぎ慣れない煙草の香りに、眉間にしわが寄る。それでも、甘えるように首元に擦り寄るその仕草に、どくりと心臓が疼いた。くそ、かわいいな、畜生。しっかりと腰を抱いて、頭を撫でてやる。いつもはしゃんとしている姉が、こんなにも甘えてくるなんて貴重だ。目元に唇をよせてから、まだ目の前に男が突っ立っていることに気がついた。




「……何、まだなんか用なワケ?」
「あ、」




 キッと睨みつければ、たじろぐ男。少し縒れたシャツを直すこともせずに、男はなにかを言いあぐねているようだった。彼女への好意が垣間見えるその様子に、オレの苛立ちは再びぐらぐらと沸騰を始める。男が何か言おうと口を開けたが、それを遮るように言葉をかぶせてやった。




「あー、お前、と同じ会社のヤツ?」
「え、あ、ああ、」
「わりーけどコイツ、オレのだから」




 ぐっとを抱き寄せると、男の眉間に皺が寄る。ははっ、ざまあみろ。不快そうなその顔がオレの優越感をくすぐった。すりすりとオレの首筋に顔を押しつけるがかわいくて、頭にキスを落とした。ちら、と上目で男を窺えば、眉間にしわを寄せてオレを睨みつける。おー、こわ。負け犬はとっととお家に帰んな。




「と、いうわけでコイツが世話になったわ」
「……いや、」




 低くそう呟いて、名前も知らない男は去って行った。その後ろ姿に向かって、ひらりひらりと手を振った。ざまあみろ。バタンと扉を閉めてから、がちゃりと鍵をかけた。つーか、をここまで連れてきたってことは、家の場所バレたってことじゃねーの。まあ、これでもかってくらい牽制しといたから、問題はねーと思うけど。




「さて……、」
「んー?」
「さっきのアイツ、誰?」




 ぐ、との腰を引きよせて、その瞳を覗き込む。オレと同じシャドウブルーの瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。うるんだ眼、とろんとしたそれに見つめ返されて、よこしまな考えが頭をよぎる。ぐるぐると体内でのたうちまわっていた鈍い熱が、それに拍車をかける。ああ、やばい。手加減、できそうにない。




「かずなり……?」
「オレ、今けっこー怒ってんだよね」




 責任とれよ、姉さん?
 ふっくらとした唇に、噛みつくように口づけた。驚いたの肩から黒い鞄がずり落ちたけれど、そんなことお構いなしだ。強引に唇を割って、舌を潜り込ませた。苦いアルコールと、でろりとあまいの唾液にぞくりと首筋の毛が逆立つ。舌を絡めて吸いついて、逃がさないと身体を掻き抱いた。、お前の居場所は、昔からひとつだろ? どこにも、行かせやしない。










121025  下西 糺


高尾くんは絶対弟にしたい。いやぐいぐい兄さんもいいけど。
一枚どころか五枚くらい上手のハイスペック兄さんでもいいけど