04:さかな、やくそく

 ふう、と溜息をついた。水曜日、立ち込めた曇のせいで、図書室は薄暗い。灰色に染まった校舎は、ひとけがなくて少し不気味だった。からりとした風が吹き抜ける。天気予報通り、雨は降っていなかった。


「青峰くん……」


 思い出すのは先週の出来事だった。なにかを言いたそうにしていた青峰くんと、そんな青峰くんの腕を抱くさん。あれから、親友の鈴ちゃんに二人のことを聞いてみた。どうやら、青峰くんほどの有名人を知らないのはわたしくらいらしく、鈴ちゃんは、それはもう細かくふたりのことを教えてくれたのだった。たとえば、青峰くんがバスケ部のエースで、ものすごく強いこと。それから、さんはモデルをやっていて、一週間に一回は必ず告白されるほどモテているということ。そして、青峰くんとさんはつきあっているらしい、ということ。どれもこれも、きいているだけで苦しくなるばかり、だ。ただでさえ週末、家で独りうじうじと悩んでいたのに、月曜日、そんなことを聞いてしまえば、青峰くんとはさらに顔があわせづらくなる。図書室をあけることなんて、できるはずもなかった。


「はぁ……」


 さぼった二日分の仕事は、まだまだ終わりそうにない。わかっていて図書室に来なかったんだから、自業自得、なんだろうけど。返却された本を、番号ごとに棚に戻す。いつもなら、興味津々! ってかんじの青峰くんが、うしろでうろうろしてるのに。そこまで考えて、胸がズキンと痛んだ。青峰くんとさん、やっぱり、付き合ってるんだろうなあ。お似合い、だったし。考えれば考えるほど、ズキズキと心臓が痛む。好きって、自覚しただけで、こんなにも苦しい。


「青峰くん……」
「なんだよ。呼んだか?」


 ひ、ひいっ! 飛び込んできた声に驚いて、手に持っていた本を全て床にぶちまけてしまった。え、うそ、まさか。振り向いた先、図書室の入り口で、青峰くんが欠伸をしながら立っていた。やだ、うそ、どうして、いつから、


「おいおい、本を大切にしろって言ったの、お前じゃねーか」


 口をぱくぱくとあけたままのわたしに近づいて、青峰くんは呆れたようにそう述べた。返事をする余裕なんかないわたしは、青峰くんの顔を凝視してしまう。そんなわたしをスルーして、青峰くんは足元に座り込んだ。散らばった本を一冊一冊拾う。


「あ、おみねくん、ど、して」
「あー、屋上で寝てたらこの時間だったんだよ」


 ほらよ、と青峰くんが拾った本をわたしに渡してくるから、どもりながらお礼を述べて、それを受け取った。頭の中は、どうして、がぐるぐるとまわっている。どうして、


「どうして、」
「え?」
「図書室、開けなかったんだよ」


 しゃがみこんだまま、上目づかいで見つめられて、心臓がどくりと変に跳ねた。図書室、来てくれてたんだ。その事実に、顔が熱くなる。来てくれなかったら、どうしようって、怖くて、だから、さぼっちゃってたのに。「?」青峰くんが促すように名前を呼ぶから、慌てて首を振った。


「え、えっと、体調不良?」
「……訊くな。っつーか、またかよ」


 かろうじて飛び出した言い訳に、青峰くんは不機嫌そうに呟いた。それから、体調管理がなってない、だの、きちんと飯を食え、だの、まるでお母さんみたいにぐちぐちと説教をする。マシンガンみたいにしゃべる青峰くんは、青峰くんじゃないみたいだ。俺なんかここ数年風邪ひいてねーぞ、と尖らせたくちびるが可愛くて、ちょっと笑ってしまった。


「なに笑ってんだよ」
「な、なんでもないよ!」
「フン……ほらよ」
「あ、ありがとう」


 立ち上がった青峰くんは、最後の一冊でぽんとわたしの頭を叩いた。その動作が、なんだかすごく優しくて、胸がぎゅっと締めつけられた。「お、うまそ」手にした本を見ながら、青峰くんがぽつりとつぶやく。表紙には“おかしのじかん”の文字と、デコレートされたブラウニーの写真が。腹減ったなー、と漏らしながら青峰くんは最後のそれを渡してくれた。わたしは、本と青峰くんを交互に見ながら訊ねる。


「青峰くん、好きなの? ブラウニー」
「あん? あー、まァ、甘いモンは好きだな」
「そうなんだ。ブラウニー、わたしもよくつくるけど、おいしいよね」
「え、お前作れんの?」
「し、失礼な! ブラウニーくらいなら、」
「食いてェ」


 え?
 予想外のことばに、青峰くんを凝視してしまった。わたしのびっくりが青峰くんにうつったみたいに、青峰くん自身も言葉を失ってしまう。一瞬みつめあってから、青峰くんが目を逸らしながらちいさな声で呟く。


「っ、あー、嫌なら、別に、」
「い、嫌じゃ、ない、よ!」


 おもったよりも大きな声が出て、わたしがおどろいてしまった。きょとん、と、めをまんまるくした青峰くんはそれから照れたように、にかっと笑う。わ、その顔、は、反則、だよ。顔が熱くなって、それがばれないように下を向く。その瞬間、金曜日の光景を思い出して、心臓がどくりとうめいた。鈴ちゃんの言葉があたまをよぎる。 「青峰君とさん、付き合ってるってもっぱらの噂だよ」 どくり、どくり、心臓が締め付けられるみたい、だ。しりたくない。ききたくない。で、も、


「ん? どうした、
「あ……えっと、あの、青峰くん、彼女、いるんじゃ、」
「え? いねーけど」


 勇気を出した言葉はさらっと否定された。え、うそ、ほんとに?


「でも、あの、金曜日、」
「あー、あいつ? ちげーよ、そんなんじゃねェ」


 がりがりと頭を掻きながら、「クラスメイトだよ」そう言って青峰くんはわたしをみた。それがどうかしたのか? 困惑した顔でそうたずねられて、わたしはぶんぶんと顔を横に振る。わ、どうしよう、わたし、いま、うれしくて、顔、すごく、ゆるい、かも。青峰くんのひとことで、わたしはばかみたいに舞い上がってしまう。うつむいたまま、ふわふわとしたきもちをかみしめた。わたし、ぜったい、顔赤い。


「関係ねーから、気にすんな」
「……じゃあ、つくってこよう、かな」


 引きしまらない顔で、青峰くんを見上げる。と、


「……青峰くん? どうしたの?」
「な、んでも、ねー」


 口元を手で押さえた青峰くんは、そっぽを向きながらぼそぼそと呟いた。どうしたんだろう、って顔を覗こうとすると、ものすごい速度で逃げられた。さらに追いかけて、逃げられる。三回目。青峰くんの長い指が、わたしのおでこを弾いた。


「いたぁっ」
「帰る。……明日はちゃんと開けろよ」


 そのままくしゃり、と頭を撫でて、青峰くんは図書室を後にした。触れられた頭と、ぶっきらぼうなせりふと、青峰くんの後ろ姿で、わたしの単純な頭はいっぱいいっぱいになる。見間違えちゃなければ、青峰くん、耳、真っ赤だった、よね? うそ、ほんとに? 青峰くんのささいな行動で、わたしはばかみたいに舞い上がってしまう。ううう。ああ、もう、わたし、しあわせだから、ばかでもいいよ。












120505 下西糺