僕がきみの手を
握り返したのは、
勢いよく扉を開けたら、硝子が割れたんじゃねぇかってぐらい大きな音が響いた。もし、教室で生徒が騒いでいたのなら、一瞬で水を打ったように静かになること間違いなし、だ。しかし、放課後の教室は人っ子一人いないのではないかというほど、シンと静まり返っていた。俺の視線は一番窓側、後ろから二番目の席に注がれる。ああ、やっぱりまだ帰っていなかったのか。予想はしていたが、眉間のしわがさらに深まったのを感じる。
「オイ」
つかつかと歩み寄りながら声をかけたが、まるっきり無視された。ほほう、俺様を無視するたァいい度胸じゃねぇか。なぁクンよ。突っ伏したままのの前の席に、ガタリと腰掛けた。窓から吹き込んだ風が、ふわふわとこいつの髪をゆらす。いつもよりアホ毛が目立つのは、朝の格闘を怠ったからか。いつもだったら20分は髪の毛に時間を割くのに、今日のこいつはワックスすら付けていないだろう。それどころか、顔を洗ったかどうかすら怪しむものがある。寝坊、とは少し違う。俺が迎えに行くまで布団にいたことは確かだろうが、それと睡眠を摂取していたかどうかは別問題なのだ。
「聞こえてんだろこの糞アホ毛」
右手で思い切りチョップをかましたら、うぐう、とくぐもった声が腕の間から洩れた。ほら、やっぱりタヌキ寝入りじゃねぇか。ふん、と鼻を鳴らしたが、やはりに無視されてしまった。胸糞わりぃ。
「振られたくらいで落ち込んでんじゃねーよ」
「……うるへーこの悪魔。妖一のばか」
「馬鹿はどう考えたってオメーだろうが」
「おめーじゃないですぅくんですぅ」
「きめぇ」
「妖一は彼女いたことないからわかんねーだろ」
恋愛ってのはくるしいもんなんだよ。するどく呟かれたそれに、思わず息をのんでしまった。机に突っ伏したままのはそれに気づかない。どくりと、心臓が嫌な汗をかく。畜生、ほんと、この糞アホ毛が。
「アホ。馬鹿。死ね」
「俺ァ傷心中なんだよ気付けばかぁ」
馬鹿。死ね。気付け馬鹿は俺の台詞だ、糞が。恋愛は苦しいものだァ? そんなの俺が一番よく知ってる。苦しくて、苦しくて、せつなくて、泣きたくなるようなどうしようもない感情と、俺はいつもとなりあわせだ。一番の馬鹿はお前だ。気付け馬鹿。こっちみろ。心ではいつもそう言う癖に、俺はその台詞を一度だって口から零したことはない。なぁ、俺をみろよ。違う、俺をみるな。だって、みられたら、気付かれてしまう。気付いたらどうなる? 何パターンものこいつを考えたけれども、結果はただ一つのような気がした。そうだ、が受け入れることなど、できるはずもない。こいつは別れたばかりの彼女をまだ引きずっているわけだし、そのうえ、なにより、
「っ、」
無意識にの髪に手を伸ばしている俺がいて、あわててその手をひっこめた。ちくしょう。俺ばかりが翻弄されていて、俺ばかりが苦しい。こんなアホ丸出しのやつに。さいあくだ。しね。
「よーいち」
「なんだよ」
「手、にぎって」
突っ伏したまま、顔さえ上げずにはそう呟いた。枕にしていた右手が、力なく差し出される。ふらふらと振られた指先を、俺はゆっくりと捉えた。だんだんと夏場へ向かっているのに、こいつの指先はいつも通りひんやりとしていた。冷え症だなんて、女か。ああ、いっそどちらかが女だったらよかったのに。そうしたら、俺はこんなに苦しまなくても、
「よーいちの、」
「あ?」
「手はいつもあったかいな」
あんしんする。
そう言って、は俺の手をギュッと握った。俺はなんだか泣きたくなって、でもどうしようもなくて手を握り返す。
「ばーか」
「お前が冷たすぎるんだよ」
「お前をふった女なんか忘れちまえ」
「はやく気付け」
「俺をみろ」
「どこにも、行くな」
何を言えるはずもない。
言葉にならなかったからで、
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110704 下西 糺