07:さかな、そらをとぶ

「ダイキ!」


 青峰くんの登場に、一番先に我に返ったのはさんだった。ぱって表情をかえて、青峰くんのうでに抱きつく。ずき、ずきんと胸が痛んだ。モデルみたいなさんと、背の高い青峰くんはやっぱりお似合いで、わたしは自分がみじめでしかたなくなる。さっきまで爆発しそうだった怒りは急速にしぼんで、わたしは唇をつよく噛みしめた。いやだいやだ、みていたくない。いつからわたしはこんなに弱くて、こころの狭い子になっちゃったんだろう。お似合いの二人を見ていたくなくて、俯いたら、つぶれた紙袋が目に入った。心臓がぎゅって掴まれたみたいに痛む。せっかくつくってきたブラウニーも、ぺしゃんこに、なっちゃった、し。わたし、ここにいる意味、ない。かえろ、う。俯いたまま、わたしはふたりの横をすり抜けた。そのまま廊下を、ひっしで走る。後ろから青峰くんに名前を呼ばれたけれど、無視して階段を駆け降りた。だって、こんなわたし、青峰くんに見せたくない。青峰くんの特別になれたって、勘違いして、勝手に舞い上がって、うぬぼれて、さんに嫉妬して、さいあく、だ。あふれだす涙を、拭うことすらできなかった。
 もう、消えたい。










°°・。<・))><










「うう……ずび、」


 消えたい、って言っても、ほんとうに消えるわけにもいかないし、こんな顔で自分の教室に戻れるはずもないし、結局わたしは図書室にとじこもることになる。ばかだな、わたし。ずび、って鼻をすすった。なみだはあふれだしてぜんぜんとまらないから、とっくの昔に拭うのをあきらめた。図書室のいちばん奥、棚と棚の隙間にすわりこんで、膝を抱く。わたし、泣いてばっかりだな。この間もここで泣いたことを思い出して、青峰くんにキス、されたことも、思い出してしまった。うう、いま思い出すなんて、わたし、ほんとうに、ばかだなぁ。


「青峰くん、」


 名前を呼んだら、もっと涙がぼろぼろこぼれる。自己嫌悪がひどいのに、それでも青峰くんのことを考えてしまうんだから、わたし、ほんとうに、救いようがないくらい、馬鹿だ。


「おい、!」


 とつぜん廊下から聞こえてきた声に、びくんって身体が跳ねた。続いて、どんどんって、扉を叩く音がする。あ、おみねくん、だ。びっくりしたわたしは、扉を凝視してしまう。うそ、ほんとに? ふわりと浮きあがった気持ちは、さんのことばを思い出すことによってまた急降下する。青峰くんは、すごく優しいから。だから、追いかけてきてくれたんだ。うれしくなって、うれしくなった自分が嫌で、わたしは膝に顔をうずめた。青峰くんにあいたい。でも、こんなわたし、見られたくない。あいたくない。だから、鍵は、開けな、


がっしゃーん!


「、え……?」
「ったく、隠れんならもっとわかんねェとこに隠れろ、バーカ」


 空気がびりびりするくらい大きな音が響いて、弾かれたように顔を上げる。不機嫌そうに眉根を寄せてこちらを睨む青峰くんと、目が合って、しまった。え、うそ、いま、扉が、壊れ、


「あ、青峰く、ん、扉、え、」
「あんなもん知るか」


 動揺してるわたしなんかおかまいなし。床に転がった扉をまたいだ青峰くんは、そのまま大股でわたしの目の前に歩いてくる。なにがなんだかわからないわたしは、ぽかんと口を開いたまま、青峰くんを見つめることしかできなかった。座ったままのわたしと、視線を合わせるようにしゃがみこんだ青峰くんは、ぐい、とわたしの頬をてのひらで包んだ。無理やり視線を合わせられる。


「あっ、」
「眼、赤いな」
「っ! や、み、見ないでっ」


 言うだけ無駄だって、わかってたけど、言わずにはいられなかった。案の定青峰くんはわたしの言葉を無視して、瞳をのぞきこんでくる。あまりの近さに、顔が熱くなった。わたしをじいっと見つめていた青峰くんは、きゅっと唇を結んでから眉を下げる。泣き出しそうな、かお、だった。「、」絞り出すような、声。


「わるかった」
「……べ、つに、青峰くんは、なにもして、ないよ」
がなにか言ったんだろ?」
「…………でも、間違ったことは、言ってなかった」


 だって、わたしは、青峰くんのことなんて、これっぽっちも、わかってないんだから。青峰くんが、どれだけつらいのかも、どれだけくるしいのかも、ぜんぜん、わからないのだ。そのくせ、あいに来てくれるからって、舞い上がって、キスされたくらいで、うぬぼれて、わたし、ほんとに、さいあく、


バチンッ


 突然の衝撃と、あまりの痛さに、声が出なかった。反射的におでこを抑える。じんわりと熱をもったおでこは、次の瞬間からずきりずきりと痛みだした。目の前の青峰くんが、じんわりとゆがむ。で、デコピン……。


「い、いた、いたい……」
「ったく、馬鹿だろ、お前」


 ふわり、と抱きしめられて、呼吸が一瞬止まった。青峰くんの顔が、わたしの肩口に埋められる。フレグランスと、太陽のにおい。こねこがすり寄るようなそのしぐさに、わたしはどぎまぎとしてしまった。走り出す心臓。ふるえる、こえ。


「え、あお、青峰、くん?」
「俺が、お前に、どれだけ、」どれだけ、助けられたか。


 わたしの肩に振動は伝わったけれど、なにを言ったのかはよく聞こえなかった。「あおみねくん?」困ったようなわたしの声に、顔をあげた青峰くんは、


「お前が、いてくれて、よかった」


 柔らかくわらった青峰くんの、顔がにじんだ。慌てててのひらで押さえたけど、流れ出したなみだはとまらない。指のすきまから、ぼたぼたと、びっくりするぐらいあふれでてくる。「あお、あおみ、あおみねく、」なにを言ってるのか、自分ですらもうよくわからなかった。えぐえぐと泣き続けるわたしの手首を掴んではがし、青峰くんは困ったように笑いながら、涙を拭ってくれた。その手つきがひどく優しくて、わたしはもっと泣いてしまう。


「お前は、ほんと、よく泣くな」
「あ、青峰く、が、泣が、ないから、」
「……くく、鼻、真っ赤だぜ」
「う、うるさいな」
「く、くっ、」
「……あおみ、」
「ふ、くっく」


 むう、とふくれながら、笑いだした青峰くんを睨みつける。あまりの爆笑っぷりに、なみだは一気にひっこんでしまった。そんなわたしなんてお構いなし、つぼに入ってしまったのだろう青峰くんは、肩を震わせてわらいつづける。ちょ、ちょっと笑いすぎなんじゃ、ないの、かな!


「わ、笑いすぎだよ青峰くん!」
「わ、り、……ククッ」


 わたしが文句を言ったところで、わらいの波はおさまらないらしい。顔を真っ赤にして笑い続ける青峰くん。それにつられて、わたしも、ふふっとわらってしまった。そのひょうしに、たまってた涙が、ひとすじ、流れる。それをみた青峰くんは、ちょっと目を見開いてから、笑うのぴたりとをやめた。目尻を下げて、親指で涙をぬぐう。一瞬の沈黙。青峰くんはわたしをみつめた。


「なあ、、」
「なぁに?」
「どうしてジョナサンは飛べたんだと思う?」


 どうして、ジョナサンはとべたんだとおもう?
 ジョナサン。ジョナサン・リヴィングストン。青峰くんに貸した、あの本だった。誰にも理解されず、認められず、それでも自分を信じて飛び続けたジョナサン。友を失い、故郷を失い、孤独になってからも飛び続けた彼は、なにを得られたのだろう。 われらすべての心に棲む かもめのジョナサンに 青峰くんの藍色のひとみが、ぐらりぐらりと揺れていた。わたしは、青峰くんを抱き寄せる。青峰くん、青峰くん。


「ジョナサンはね、飛びたかったんだよ。はやくはやくとびたくて、ぜったいあきらめなかったの。だから飛べたの。飛びたいっておもったら、さかなでも、空をとべるんだよ」


 抱き寄せた青峰くんのからだが、震えた気がした。青峰くんの髪に顔を埋める。ゆっくりとわたしに回された腕は、ぎゅうう、と力強くわたしを抱きしめた。、と低く呼ぶ、青峰くんの声が心地いい。


、」
「なあに、青峰くん」
、さん。好きだ」


 消え入るような声でそう言ってから、青峰くんはわたしを見つめた。わたしも、青峰くんをみつめる。どちらからともなく瞼を閉じて、くちづけた。ふわり。やわらかいそれに、胸が熱くなる。ねぇ、青峰くん。


「青峰くん」
「ん?」
「大好き、だよ」


 そういって、ほほえむ。ちょっと目を見開いた青峰くんは、それから、やさしく、やさしく、笑って言いました。


「俺も」  

















そ ら と ぶ さ か な












120517 下西糺

完結致しました。ご愛読ありがとうございました!




あとがき的ななにか、いっちゃう?