03






 初めて彼を見つけたのは、高校の入学式のことだった。
 ふわりと柔らかい風と共に、マロングラッセの髪が揺れる。桜の中のその光景に、目を奪われた。凛とした横顔に、心臓がどくどくと脈打つ。人があふれかえる掲示板のまえで、彼だけが、彼とオレだけが、別世界に存在しているみたいだった。彼という一人の人物に、オレの瞳が、神経が、すべてが、奪われてしまったかの、ようで、オレは、ただ、どうしようもなく彼を見つめることしかできなかった。彼が視界に入るだけで咽が震えた。クラスが一緒だと知った時は目眩がした。、名前を知ってからはずっとそれを心の中でなんども、なんども、繰り返し、繰り返し、。初めて話しかけた時は緊張で吐くかと思った。名前を呼ばれた時は死んでもいいとおもった。笑いかけられるたびに泣きたくなって、触れられるたびに心臓が締め付けられた。この感情に名前を付けることなど、オレにはできないのだけれど、それでも、これが恋慕と呼ばれるものに、限りなく近くて、そしてありえないほど遠い感情なのだと、気付いたのは春も終りに近づいたころだった。


「好きだ」


 口にすればするほど、それが胸の中に重く圧し掛かる。息をするのさえ苦しくて、それから解放されたくて言葉を吐きだすのだけれど、その分だけ胸がぎりりと締め付けられるかのようだった。おかしい。こんな感情、おかしいに決まってる。だって、オレも男で、あいつも男で、そんなの、おかしいだろ。今までも彼女はいたけれど、キスもセックスもしたけれど、彼女のことが大好きだったけれど、でも、こんな気持ちになったことなんて、ない。一度も、これっぽっちも、ありはしない。どうしたらいい、オレは、どうしたらいいのか、まったく、わからなかった。いまだって、あの時とおなじだ。ちっとも、わからない。ただ苦しいだけだ。やめたい。死にたい。もうこれ以上あいつのことを好きにならない。蒲団の中で毎晩誓いを立てる。もうやめる、ぜんぶ、ぜんぶ、すてて、まっしろに。だって、きっと迷惑だ。いつか、あいつに見捨てられる。あいつに、に嫌われたら、それこそ、生きてなどいけない。だから、嫌われる前に、気付かれる前に、この感情を殺さなければ。咽び泣きながら毎晩そう誓うのに、その誓いはが笑うだけで塵のように吹き飛んでしまうのだ。少し目立つ八重歯を見せて笑う。唇を尖らせて拗ねる。授業中居眠りを指摘されて焦る。部活を馬鹿にされて怒る。髪を褒めると嬉しそうに眼を細める、好き、好きだ、好き。彼を好きだと思うたびに、心臓に巻かれた鎖がオレを苦しめる。それでも、彼の笑顔を見るたびに、あたらしい表情を見るたびに、ほわりと胸がじんわり熱くなるのだ。好きだ、、だめだ、やめたい、、好き、好き、


「好きだ」


 はじめはそれでよかったのに。オレがを好きなだけで、がそこにいて、オレの名前を呼んで、オレに触れて、にこりと笑ってくれるだけでよかったのに。好きだと心で呟くたびに、オレの「好き」がどんどん重くなっていく。鎖のような想いに、雁字搦めに縛られて、身動きなんて取れるはずもない。名前を呼ばれるたびに、もっと名前を呼んでほしい、と、髪に触れられるたびに、もっとオレに触れてほしい、と、もっと笑ってほしい。もっとそばにいてくれ、もっとオレを見てくれ、もっと、もっと、もっと。欲望はオレの苦しみに比例して、膨らんで、ぐるぐると、とぐろを巻いていくかのようだった。がオレ以外のやつに笑いかけるだけで、ぐらりと腹が熱く熱をもった。どす黒い感情が、鎌首を擡げる。他のヤツに笑いかけるな、他のヤツなんかみるな、他のヤツになんか触るな、オレだけを見て、オレにだけ触って、オレにだけ笑いかけてくれ、、だって、俺には、お前しか。





 なにも見えやしない。真っ暗だ。何もかもがうまくいかない。バスケも、勉強も、学校も、家も、も、


「高尾」
「んー、なに? 真ちゃん」
「……どうかしたのか?」


 それでも生きていけるのだから人間はしぶとい生き物だと思う。へらへら笑って、時には驚いて、不機嫌になって、最終的にへらりとした笑みを見せれば物事はなんとなく、それなりの場所に収まってしまう。残るのは燻りかけた しこり だけだ。オレの胸の内のしこりなんて、誰から見えるわけもない。オレが気づかないふりさえしていれば、誰も気づくことはないのだろう。そう思っていたのだけれども。「なんでもねーよ?」その しこり を見逃さなかったらしいエース様は、不機嫌そうに片眉を吊り上げた。にへら、と笑ったけれど、到底ごまさせるはずもない。


「なんだその顔は」
「え、?」
「引き攣った顔で笑われても不快なだけなのだよ」


 ぴしゃりとしたその言い方に。苦笑いが零れる。ふつうの、笑い方すら、忘れてしまった、のか。オレは、「なぁ真ちゃん」ぽつりと漏れた弱弱しい声に、緑間はなんだ、と低く答えた。


「なぁ、真ちゃん」


 オレ、好きな人がいるんだ。そのひとのことが、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きでしかたなくて、好きで、大好きで、死んでもいいくらいその人のことが好きで、目が合うだけでうれしくて、話ができるだけでしあわせで、好きで好きで、うれしくて、苦しくて、せつなくて、悲しくて、苦しくて、つらくて、いやで、やめたくて、でもすきで、好きで好きで仕方なくて、死にたくて、もうどうしたらいいかわからないんだ、真ちゃん、オレ、どうしたらいい?


「どうしたらいいもなにも、」
「ん、」
「お前は、まだ何もしてないだろう」


 はっと顔を上げると、眉間にしわを寄せた真ちゃんが大きくため息をつく。テーピングを巻いた指先が、カチャリと眼鏡を押し上げた。


「相手に好かれるように努力したわけでも、ましてや告白をしたわけでもない」
「真ちゃ、」
「結果を憂う前に人事を尽くせ。ぐだぐだ管を巻く暇があるなら行動したらいいだろう」


不機嫌そうに吐き出されたそれに、目を見開いた。だって、そんな、こと、


「みどりま、」
「なんだ」
「オレ、あいつのこと、好きでいて、いいの、かな」
「知らん」


 お前のことだ。お前の好きにしたらいいのだよ。
 その一言に、オレがどれだけ救われたのかを、緑間は一生知らないままだろう。ぽかんと口を開けたまま、一言も発しないオレをちらと見てから、何事もなかったかのように真ちゃんは視線を手元の文庫本に落とした。そっか、そうだよな、オレの気持ちな、わけ、だから、オレの好きにしたらいいんだ。そんなかんたんなことが、どうして分からなかったんだ、オレまじでバカなんじゃねーの。そう考えたらおかしくて、くつくつと笑い声が漏れた。それを聞いた真ちゃんが、気味悪がるように、もっといえば足元に転がっているゴミクズを見るような目つきでオレを見る。それでも、今までにないくらいスッとした気分のオレには全然ダメージがないわけで。仕方ないと諦めたように真ちゃんはため息をひとつついた。視線を活字に戻してから、小さく言葉を紡ぐ。「それで、」


「ん?」
「お前がそれほどまでに悩む相手は誰だ?」
「あー、
「そうか、…………は?」



 声に出して名前を呼んだらぎゅっと心臓が鷲掴みされたかのように痛んだ。、おれのすきなひと。


「オレ、が好きだ」


 好きで好きで好きで好きで好きで好きで仕方なくて、あいつのことを考えると胸がぎゅってしめつけられてくるしくてせつなくてやめたくてでもやめない。やめられるはずもない。だって、オレはが好きだから。あのマロングラッセの柔らかい髪もぱっちりとひらいた鳶色の瞳も少し小さめだけど形のいい耳も色素の薄い唇も浮き出た鎖骨も意外にきちんとついている腕の筋肉も少し短くて折れちまうんじゃないかってくらい細い指もくびれた腰も傷だらけの膝小僧もきゅっとしまった足首も少し長い足の爪もぜんぶぜんぶ、頭のてっぺんから足のつま先までひっくるめてが好きだ。大好きだ。どれだけいやでつらくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて死にたくなっても、ぜったいにこの気持ちは消えたりなんかしない。


「すき、なんだ」
「……そうか」


 そういった緑間の声が優しくて、俯いたオレの目頭が熱くなる。なぁ、、オレ、お前のことが好きなんだ。ぽたりぽたりと落ちるそれが、オレの心臓を苦しめる。オレを好きになって、なんて言わない。オレを見てだなんてそんな我儘、言えるはずもない。でも、これだけは、オレの気持ちだけは。否定しないでほしいんだ。なにも望んだりしない。なにも求めたりしない。なんにもしてくれなくていい。だから、だから、オレを受け入れて。






何とかならなくて良いと諦めて

下西ただす(121209)


ちょっとヤンデレが入り始めた高尾くんですごめんなさいやんでれもすきです