ハリネズミの恋。

交わらない視線の先に
 あ、見てる、なぁ。
 後ろ姿を見つめながら、そう思った。夏休みまで一ヶ月を切ったせいか、教室内の空気は浮き足立っている。締め切られた窓に遮られて、みんみんという蝉の声はひどく遠い。ぶぅん、唸るようなクーラーの音と、生物教師の低い声が相まって、クラスメイトのほとんどが半ば夢の世界へ旅立っていた。それでも、何人かは真面目に授業を受けているようで、カリカリという微かな音も聞き取ることができる。もちろんわたしは真面目な生徒なんかじゃないから、板書を写したきりシャーペンは持っていない。それは彼、高尾くんも同じだった。


「あーそれでだな、この原口という部分が、」


 呪文のような教師の言葉にも、高尾くんは反応を示さない。斜め前に座っている彼は、頬杖をついたままじっと前方を見つめている。前方、というのは間違いだ。だって高尾くんは、黒板なんてこれっぽっちもみていないんだから。彼の切れ長の瞳を、斜め後ろのわたしは見ることができないけれど、彼が誰に視線を送っているかなんて、目をつぶっていたってわかるのだ。だってだって、高尾くんは、いつだって彼女のことしか、見ていないのだから。


「お、っと、今日はここまでだな」


 こもったようなチャイムの音に、生物教師は教科書を閉じた。突っ伏していたクラスメイト達がわらわらと起き出したり、おしゃべりを始めたり、慌てて黒板を映し出したりする中、高尾くんはあくびをかみ殺したような声を出して、ひとつ大きく伸びをした。まるで今まで寝てましたよーっていう動作だけど、わたし、知ってるよ。それ、演技でしょ?


「じゃあ今日の授業はここまでなー。日直は黒板よろしくー」


 れぇい、ありがとうございましたー。がやがやに交じって日直の号令、前の方の生徒は挨拶をしたけれど、後ろのほうの男の子たちはそんなことお構いなし、みたいだった。制服を脱いで着替え始めているのは、すぐに部活が始まるからだ。わたしみたいな帰宅部はゆっくりしていられるけど、部活に所属してるひと、とくに運動部なんかは、一年生だからって準備をしなければならないらしくて。がたがたとクラスメイトが立てる物音が止んだのは、担任が教室に入ってきてから少ししてからだった。


「帰りの会をはじめまーす」


 日直の間延びした声と、ごうんと籠ったエアコンの音。まどろみが襲ってきて、慌ててあくびをかみ殺した。少し前の高尾くんが、大きくあくびをしたのを見て、なんだか照れくさいような気がして、ふっと口元がゆるむ。 「 た か お く ん 」 声に出さないで、口だけで、小さく呟いてみた。もちろん高尾くんにも、先生にも、隣の席の阿部くんにも気付かれない。 「 た か お く ん 」 「   すき   」 囁くようなこの声が、届くはずもない。






だから、今は彼を見つめているだけでいいのだ。
(いまは、だなんて、つける意味を)(神様はきっと知っている)







150728  下西 ただす