僕がきみの手を
握り返したのは、
……なんだあいつ。
元から意味のわからない行動をするやつだったが、今日のあいつは輪をかけて、酷い。酷すぎる。まさしく「挙動不審」の一言だった。授業中なのにもかかわらず携帯を開いては、閉じて、また開いて、を繰り返している。俺の席からはの背中しか見えていなかったが、窓ガラスに映ったあいつは、ずっと憂鬱な顔で携帯を覗き込んでいる。どんよりと曇った日だった。
「だから、ここにはさっきの公式をあてはめて、」
教室は、いつもより静かだった。それもそうか。定期テストは明後日だ。部活を休みにするなど馬鹿げた話だが、意味のない補講のせいで試験期間が明けても部活ができないよりは、幾分かマシである。よって試験前は休み、試験後から猛特訓を開始する予定となったわけだ。もちろん黒板の数式など写さなくてもわかるので、手持無沙汰な俺は銃器の手入れをする。頭の中では全く別のこと、のことを考えながら。
「チッ」
思わず舌打ちが漏れた。考えて答えが出るものならば、とっくに出ているのだ。直接聞く気が、まったくなかったと言えば嘘になるが、できれば聞きたくないのが本音だった。拒絶されたら、と考えるなんて、俺らしくもない。昔、武蔵に言われた台詞を思い出す。呆れたように、ぶっきらぼうに呟いた。「おまえ、変なところで奥手だよな」ちげーよ、という台詞は宙に浮いたまま、中途半端に響いて消えた。「奥手じゃなくて、ビビってるだけだ」なんて、言えるはずがない。
「お、チャイムなったなー。今日はここまで」
じゃあそのままホームルーム、はじめるぞー。
起立どころか礼すらせずに、数学教師、もとい担任がずんずんと話を進めていく。試験の日程や委員会の招集など、俺にとってはまったく何の価値もない情報だ。最後に「気をつけて帰れよー」と妙に伸びた声で言い捨てて、大柄な教師は去っていった。とたん教室がうるさくなり、思わず眉間に皺が寄る。とっとと帰るのが、正解だろう。意味不明な行動の数々は、道中、折を見てに訊ねればいい。それが本当にできるかどうかは別として。教科書など一つも入っていない鞄を肩に掛ける。がちゃり、と銃器がぶつかり合って鈍い音を立てた。
「おい、、帰るぞ」
こつり、左手で拳を作り、の頭を一つ叩く。突っ伏したままのの、ふわりとしたアホ毛が揺れた。窓の方を向いているは、ちらりとガラス越しに俺を伺ってから、また目を逸らした。うーん、という否定ともに、完全に顔を伏せてしまう。組まれた腕の間から、くぐもった声が漏れる。
「先帰ってて、くれよ」
「はァ?」
眉間に皺が寄る。思ったよりも大きな声がでて、びくりと周りの人間に動揺が走る。我先にと教室から飛び出していき、結局すぐに二人きりになった。いや、そんなことはどうでもいい。問題は目の前のこいつだ。
「どうしたんだよ、急に」
「別に。なんでもねーよ」
嘘だ。という人間は嘘をつくのが極限に下手である。ばーか、俺がそんな嘘に引っかかるはずねェだろ。だが、変なところで頑固なが、質問責めにしたところで口を割らないのもわかりきっている。自然に、俺の右手は机の上、元凶であろう携帯電話に伸びていた。白い二つ折りのそれは、何度も落としたので傷がいくつも付いている。カシカシと、いつも通りの暗証番号を入力すると、すぐに待ち受けが映し出された。二週間ほど前に、一緒にとったプリクラだった。すぐさま親指がメールキーをプッシュする。
「……妖一?」
急に黙り込んだ俺を確認するように、少しだけ頭をもたげたは、俺が携帯電話をいじっていることをガラス越しに確認した。それが、自身の携帯電話だということも。「おい!」鋭い声とともに腕が伸びてきたが、わかりきっていたそれを交わすのは容易かった。追撃を逃れるため、俺はから離れる。視線は、画面に固定されたままだった。
「おい、妖一! 返せよ!」
奪還せんとのばされた右腕を、左手で掴む。の手が届かないように、右手を高く上げた。
「妖一! いいかげんに、」
「これのせいか」
携帯の画面を、に突きつける。一目それを見て、は唇を噛みしめて黙り込んだ。振り上げられていた左手も、力なく垂れる。俺は、掴んだままのの右手首を、さらに強く握った。
「何で相談しねーんだよ」
差出人、元彼女の名前が、画面の中で光っていた。が、辛そうに顔を伏せる。溜息をついてから、携帯を机の上に置いた。は、なにも言わない。
「…………」
「行くつもりだったのかよ」
メールは、それなりに長かった。たわいない話題ばかりだったが、一番最後の話は見逃すわけにはいかなかった。“今日、親帰ってこないから暇なんだ。会えたりしない?”
「おい、」
「ほっとけよ!!」
顔を上げたは、キッと睨みつけるように俺を見つめた。動揺しているのか、瞳が揺れている。ズキリ、と心臓が痛んだ、気がした。見逃すはずがない。知っていた、知っていたけれど、目を逸らしていた事実を、突きつけられた気分だった。そう、まだ、は、あの女が、
「行く必要ねェだろ」
「なんでお前が俺のことに口出しするんだよ!」
感情を殺し切れない。意識して出した、低い声が震える。激高しているは気付いていないらしく、左手が俺の胸倉を掴んだ。白くなるほど強く握られた拳。ぎりぎりと締め付けられているのは、胸倉だけではなかった。
「……行くな」
ぽつりと漏れたそれも、酷く震えていた。滅多に出さない、躯の奥底からの願望だった。まるで懇願のようなそれは、しかし、の逆鱗に触れる。
「妖一に、そんなこと言う権利ないだろ!」
がつん。衝撃、目の前が真っ白になった。
ぐるぐると胎の中で燻っていたそれが、急速に熱を持つ。渦巻き、膨張し、吐け口を求めて暴れる。だめだ、やめろ、これを、これを告げてしまったら、俺は、は、
「なんで、俺に命令するんだよ! お前には、全然、関係な、」
「好きだ」
の瞳が見開かれる。口がカラカラに渇いていた。熱を持ったそれは、しかし、ひどく掠れていた。じわりと、指先から躯が冷える。を掴んでいる左手だけが、どくりと熱を持っているようだった。
「好きだ。お前が、」 だから、行くな。
哀願するようなそれは、空気を震わせてから、すぐに消えた。息をするのさえ忘れて、は俺を凝視している。手首を掴んでいた左手を、の右手に絡めた。慣れた体温。視線が逸らせない。逸らすつもりも、ない。ゆっくりと、の頬に添えられた俺の右手は、
ぱしんっ
「あっ、」
悲鳴のような、小さな声だった。困惑を顔に色濃く残したまま、狼狽したの視線が俺の顔と自身の手を行き来する。ああ、息が、うまく、
「わ、り……お、俺、」
「、」
「俺、かえ、る!」
突き飛ばすように、躯を離された。鞄と携帯とをひっつかんで、は俺の隣を駆け抜けていく。俺をまったく、ちらとも、見ずに。リノリウムを擦るゴムの音が、だんだんと遠ざかるのを、俺は立ちすくんだまま、呆然と聞いていた。うつむいて、見つめる左手に、熱はもうなかった。
「……好き、だ」
呟きは、やはり、すぐに消えた。
やっと素直になれたからで、
(でもどうして、きみはとなりにいない)
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111209 下西 糺
なんだか、ふかんぜんな、きがする。
あれです。お題とあわせるのに苦労しました←