透明な世界


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06
あの日、から。高杉くんに助けてもらったあの日から、わたしは極力高杉くんを避けていた。会いたくなかったわけじゃない。どういう風に接すればいいのか分からなかった、から。あの時のことを思い出すだけで、なぜか涙が出そうになる。くるしいのか、それとも、

ー。」
「あ、はい。」
「ちょっといいかァ?」

どうやら、ぼうっとしている間に授業は終了していたらしい。チャイム、聞こえなかったな。重症かも。とりあえず机の上のものを放置して、先生のもとへ行く。次は昼休みだから、クラスメイトたちは食堂かコンビニへ行くためにがやがやと騒ぎながら教室を出て行った。これだけうるさいのにも気づかなかったなんて、と内心で溜息をつきながら教卓へとたどり着く。

「なんですか?岡田先生。」
「お前って英語係だったよな?」
「はい」
「今日の放課後、空いてるか?」

今度の授業に配布する資料まとめるの手伝ってくれる?苦笑しながら岡田先生は呟いた。担任でもある岡田先生は、すごく美人なのにものすごく口が悪い。それでも、気さくな性格とわかりやすい英語の授業で、生徒からはとても人気だ。

「大丈夫ですよ。」
「助かったァ…いやな、急に職員会議が入ってな…」
「大変ですね…。」
「いやあほんとサンキューな。」

じゃ、放課後英語科教官室で。そう言って慌ただしく岡田先生は教室をあとにした。生徒思いの岡田先生のことだ、きっと昼食の時間を削って少しでも資料の数を少なくしてくれてるに違いない。たしか、もう結婚してたよね?きっとあれじゃあ旦那さんのほうが岡田先生のパワーに押されちゃうんじゃないだろうか。おかしくなってくすりとわらったら、ばちりと高杉くんと目があった。どくり。心臓が悲鳴をあげる。すぐさま視線を引き剥がして、早足で自分の机へと戻る。苦しそうに顔をゆがめる高杉くんが視界の端に映った。ああ、それがまた、わたしをくるしめる。






※※※






「わ、まっくら。」

少し日がのびてきたとはいえ、さすがに6時を過ぎたら真っ暗だ。昇降口へと向かう廊下から闇を見上げた。申し訳程度に設置された中庭の街灯は、どうやら電気が切れかかっているらしい。チカチカと何度か点滅を続けている。最終下校時刻は7時だからまだ運動部などは学校に残っているようだが、もう活動は終えて片付けの段階に入ったらしく、陸上部の掛け声は聞こえず、ただ漠然としたがやがやという音が空間を包み込んでいた。そんな微かな喧騒の中を、わたしの上履きの音がリノリウムの床を擦って音を立てる。怖くはない、けど、ちょっと不気味だ。廊下は薄暗いから、わたしは明るい昇降口まで早足で歩いた。

「あ、」

思わず声を漏らすと、下駄箱の前に立っていた人物が顔をあげた。あのときのようにわたしを突き刺していくその視線。眉間にはしわが寄っており、不機嫌なのが見て取れた。切れ長の瞳でわたしを見つめている。なんで、ここに、

「高杉くん…?」
「遅ェんだよ」

いつもより数段低い、呻るような声で高杉くんがそっけなく言い放つ。ロッカーによりかかっていた体を起して、正面からわたしを見下ろした。その瞳は細められていて、やっぱり不機嫌だ。というか、

「お、遅いもなにも、約束なんて、」
「うっせ」

ぴしゃりと遮られ、わたしは言葉をなくした。遅い、だなんて言われても、そもそも高杉くんと待ち合わせなんてしてない。かってに、そっちが、待ってたんじゃない。

「オイ」
「な、に」
「お前ェ最近俺のこと避けてるだろ。」

バッ、と、反射的に顔をそらしてしまった。ああ、これじゃあはいそうですと言ってるようなものではないか。案の定高杉くんが纏う空気はさらに険悪さを増す。こつり、高杉くんが一歩わたしのほうに歩みを進めた。

「さ、けてなんか、ないよ。」
「うそだろ」
「うそじゃない。」
「うそだ」
「うそじゃない!」
「じゃあなんで俺を見ねェんだよッッ!」

ガタン、背中に衝撃を感じたと同時に目の前には高杉くんの顔が。後ろにはロッカーが、顔の横には高杉くんの腕が、正面には苦しそうな高杉くん、が、

「なァ、」

絞り出すような声で高杉くんが囁いた。

「俺を見ろよ、。」

次の瞬間、視界いっぱいに高杉くんの、顔。少し体温の低い高杉くんの唇が、わたしの唇に押しつけられた。突然のことにわたしは目を閉じることさえできない。一回、二回、角度をかえて、もう一回。少し離れては、またすぐに重なり合う。ぬるり、高杉くんの舌がわたしの唇を舐めた瞬間。

「やっ!!」

わたしに肩を押されて、高杉くんは三歩ほど後ずさった。震える手で唇を押さえて、高杉くんを見詰める。俯いている高杉くんの表情はわからない。数秒間の沈黙。ぽつりと高杉くんが呟いた。

「わ、りぃ、俺…ッ、」

その一言にぽとりと涙がこぼれた。一度流れたそれはとめどなく流れ続ける。ぼとり、ぼとり。視界が歪んではクリアになって、そしてまた歪む。

「好きじゃない、くせに」

わたしのことなんか。弾かれたように高杉くんが顔をあげて、透き通るような瞳と視線がかちあう。なんで、どうして、高杉くんがそんなかおするの。どうして高杉くんがくるしそうなの。どうして、高杉くんが、泣きそうに、

「あやまるくらいなら、キスなんてしないで!」

来た道を引き返すように、わたしは薄暗い廊下を走った。高杉くんが追ってくる様子はない。近くの教室に飛び込んで、勢いよく扉を閉める。そのまま、ずるずると床にしゃがみこんだ。涙は相変わらずぼろぼろと止まることを知らない。生ぬるいそれは制服にぼたぼたと零れて染みになっていく。なんで、なんでキスなんてしたの。キスなんてしなければ、こんな気持ち、気づかなかったのに。手の甲で涙を拭う。それでも、やっぱり視界はだんだんと溺れていって。うそ、本当はキスしなくても気づいてた。気づいてて、見て見ぬふりをしてただけ。いつからなんて、そんなこと、わからないけど。わたしを背負ってくれた時か、もっと前、教室で頭を撫でたときか、それとももっと前の、

「高杉、くん」

ぽとり。また制服に涙が落ちる

「好き」


すきなのに、なんでこんなにくるしいんだろう




   

高杉、萌!!!←←
岡田先生は実は女の人だったんだよー(ぼそり




090419 下西 糺





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