透明な世界


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07
窓を開けると、季節外れの生温かい風がむわりとわたしの顔に直撃した。眼鏡をかけ直して外の景色を眺める。もうすぐ夕方、という時刻だった。あと30分もすれば空はオレンジ色に染まるだろう。部屋を見回して、ふうとひとつ溜息を落とす。

「きったない…。」

床じゅうに散乱しているのは、普段はクローゼットの奥にしまわれている衣服やらバッグやら小物やらエトセトラ。少し寝坊したけれども、衣替えという名の大掃除を開始した時間はそれほど遅くはなかったはずだ。それでも、部屋の中はモノだらけ。どれだけ集中していなかったのか、これでは日が暮れるまでに片付くかどうかも怪しい。

「はあ…」

自然と溜息が洩れる。集中していない、というよりもむしろ、気づいたら考え事をしていて手が止まっていた、というのが今日のパターンだった。もちろん、何を考えてしまっているか、だなんて、理由は一つしかないんだけれども。

「なんで、」

キスなんかしたの、たかすぎくん
脳内にフラッシュバックするのは昨日の放課後のことだった。薄暗い昇降口、目の前の高杉くん、触れた唇。高杉くんのくちびるはわたしよりもちょっとだけ体温が低くて、それでいてびっくりするくらいふわふわと柔らかかった。でも、体温の低いくちびるに比べて、一瞬触れた舌はわたしのくちびるよりもぜんぜんあつくて、それで、

「って、違う!なにかんがえてんのっ」

ぶんぶんと思い切り頭を振った。熱い頬に気づかないようなふりをして、あわててクローゼットへと歩みを進める。と、運悪く足が床に積み上げていた本に当たる。

「あっ」

痛い、と認識する前に声が漏れた。それと同時に足元に積み上げていた本が雪崩をおこす。あーあ。只でさえ汚れている床がさらにごちゃごちゃになってしまった。じいんと痛む左足の指先を無視してしゃがみこむ。おおきめのそれはどうやらアルバムらしかった。どうりで。左足の痛みが尋常じゃないはずである。ううう、いたい。呻りながらわたしはまた本を積み直した。これはクローゼットの奥のほうにしまうんだっけ。もう入れちゃおっかな。

「あっ」

今度は本を崩したわけでも、蹴り飛ばしたわけでもなかった。なつかしいものを見つけ、思わずそれを手にとってまじまじと見つめる。加地さんの科白を思い出した。「あのさー、中学のときのアルバムあるでしょ?それ、今度持ってきてくれない?」

「こんなところにあったんだ…。」

青味がかったカバーを撫ぜながらひとり呟いた。足元を見ると、なるほど。小学校の卒業アルバムと卒業証書、幼稚園の卒業アルバムまである。どうやらまとめて奥にしまっておいたらしい。すっかり忘れていた。

「なつかしいなぁ…」

どうにか床に座って、青いカバーを取り外す。飛翔。金文字で大きくタイトルの書かれた表紙をめくると懐かしい中学校の写真が飛び込んできた。ここに通ってたのがついこの間のようだ。もう卒業して二年以上が経過してるというのに。ぺらり、とページをめくっていく。本当に懐かしい級友たち。高校はなかなか忙しくて、会えていない子がたくさんいる。そりゃあそうだ。わたしの通っていた中学から、今の高校に進学したのは坂田くんと高杉くんだけなんだから。校長のページを飛ばして、自分のクラスのページを開いた。確か、三年三組だったんだよね。しかも坂田くんと高杉くんと一緒のクラス、だなんて、今考えたらものすごい偶然だったのかも。また高校で一緒のクラスになってるわけだし。まず目に飛び込んできたのは一番左上、楽しそうに笑う担任の山岸先生だった。そんなに若くはなかったけど、とってもいい先生で、わたしはいっぱい助けられたのを思い出した。眼鏡にみつあみのわたしも同じページで笑っている。三年間も通っていれば、厳しい校則にもなれてしまった。ぎこちなく笑う自分の写真をみて苦笑する。 そして、次の瞬間…背筋が、凍りついた。

「あ、れ…?」

おかしい。まさか、そんなはずは。
もういちど、ゆっくりと、クラスメイトひとりひとりを指でたどっていく。五十音順で並べられたそれは、安藤からはじまって山田で終わっていた。全部で32人。仲の良かった女の子から全くしゃべったことのない男の子まで、32の顔がわたしに向けてわらっている。
そのなかに、坂田くんと高杉くんが、いない。

「うそ…」

あれ、もしかして、違うクラスだったっけ?一組と二組、四組の生徒も確認する。それでも、あのきらきらと光る銀髪や鋭い黒い瞳を見つけることは出来なかった。

「なんで…?」

おかしい、おかしすぎる。だって、坂田くんと高杉くんとは一緒の中学だったもの。体育祭とかの、行事にも一緒に、参加、

「参加、してたっけ…?」

わたし、坂田くんと高杉くん、二人としゃべったこと、あった?
寒気が止まらない。何かがおかしいのは明白だった。ぎゅ、とアルバムを抱き締めて散らかった部屋を後にする。

「お母さん、ちょっと出かけてくる!!」

靴を履きながら顔も見ずにそう叫んだ。台所からお母さんが何か言ってきたけど、それを聞かずに外へと飛び出す。向かうは坂田くんの家。ここのマンションの三つ上の階だ。エレベーターのボタンを押してから、待ち切れずに非常階段を駆け上った。久々の運動ですぐに息が上がる。じっとりとした汗はひたすらわたしの服をまとわりつかせる。そんな、おかしい、よ。だって、坂田くんも、高杉くんも、一緒に卒業したんだもの。それで、一緒に高校に、

「さかた、くん!!」

ちょうどドアの鍵を閉めようとしていた坂田くんは急に名前を叫ばれてびっくりしたようにわたしを見つめた。わたしの状態になにごとかと目を見開いている坂田くんの前でたちどまり、大きく息をする。

「どうした?」
「あの、ね、」

ごくん、と唾を呑みこんでから坂田くんの目の前にアルバムを差しだした。場違いなほど明るい笑顔がこっちをみていた。

「あのね、いないの、どこにも、」

坂田くんと高杉くんが、
はあ、とおおきく息を吐いて、吸った。

「三年のときわたしと一緒のクラスだったよね?でも、ふたりとも、ここに、」

ぐらり、と目眩がわたしをおそった。あ、れ?足元が、周りの景色が、ぐにゃりとゆがんでいく。弾かれたように坂田くんを見上げると彼は目を細め、わたしが見たことないようなほど無表情でじっとこちらをみつめていた。冷たささえ覚えるような紅い瞳。ぐらりぐらりとマーブル色に溶ける世界の中で、坂田くんだけが仮面のような顔をしてこちらを、みて、
ばさり、手に持っていたアルバムが落ちた音がした、気がした。感触がした、きがした。わたしはもう何も分からなかった。坂田くんのあの鋭い瞳だけが、

(暗転)







※※※







「あっ」

痛い、と認識する前に声が漏れた。それと同時に足元に積み上げていた本が雪崩をおこす。あーあ。只でさえ汚れている床がさらにごちゃごちゃになってしまった。じいんと痛む左足の指先を無視してしゃがみこむ。視界に映りこんだのはひどく懐かしいものだった。思わずそれを手にとってまじまじと見つめる。加地さんの科白を思い出した。「あのさー、中学のときのアルバムあるでしょ?それ、今度持ってきてくれない?」

「こんなところにあったんだ…。」

青味がかったカバーを撫ぜながらひとり呟いた。ゆっくりと青いカバーを取り外す。飛翔。金文字で大きくタイトルの書かれた表紙をめくると懐かしい中学校の写真が飛び込んできた。確か、三年三組だったんだよね、わたし。坂田くんと高杉くんと一緒のクラス、だなんて、今考えたらものすごい偶然だったのかも。また高校で一緒のクラスになってるわけだし。最初のほうのページを飛ばして自分のクラスのページを開いた。眼鏡にみつあみのわたしがぎこちなく笑っている。その近くには、

「いた…。」

先にみつけたのは坂田くんだった。あいかわらず気持ちのよいくらい勝手気ままに伸びている銀髪に、ちょっとやる気のない瞳。まちがいない、中学のころの坂田くんだ。そのすぐ下には高杉くんが、まるでカメラを敵とみなしたかのようにぎろりとこちらを睨みつけていた。さらりとした黒髪は、いまよりもちょっと短い気がする。顔立ちも少々子供だ。

「なーつかしいなぁ」

思わずくすりと笑みが漏れた。ゆっくりとアルバムを撫でる。と、唐突にその指が止まった。ズキリ

「あ、れ、」

わたしこの場面知ってる気がする。ズキ、ン

「デジャヴ?」

違う、知ってる気がする、んじゃない。知ってるんだ。違う、知ってる。わたしは、何を、
脳みそに直接映像を流しこまれたかのようだった。写真のないアルバム、なかなか来ないエレベーター、ぐにゃりとまがって溶けていくせかい、わたしをみつめる坂田くんのあかいひとみ

「時間が、」 時間が、戻った?

ふわり、開け放った窓から風が舞い込んだ。差しこんだ夕日が、部屋をオレンジに染めている。




   

一気にかけた!こっから加速するぜえエエェェェェ!!!
あと二話か三話で終わるんだなぁ…。




090509 下西 糺





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